京都大好きトーク!

第三十七回 伊藤若冲生誕300年!京都から新たな文化を創出
門川大作京都市長 × 細見良行さん(細見美術館長) × 森田りえ子さん(日本画家)
門川大作京都市長さん・細見良行さん・森田りえ子さん 対談写真
門川大作京都市長さん・細見良行さん・森田りえ子さん 対談写真
門川大作京都市長さん・細見良行さん・森田りえ子さん 対談写真
門川大作京都市長さん・細見良行さん・森田りえ子さん 対談写真
門川大作京都市長さん・細見良行さん・森田りえ子さん 対談写真
京都市美術館(京都市左京区)での座談会に出席した皆さん


<プロフィール>
細見良行(ほそみ よしゆき)/1954年京都府生まれ。同志社大卒。94年に財団法人(現公益財団法人)細見美術財団を設立。98年、祖父から3代にわたり収集した古美術品のコレクションを基に細見美術館を開館し、館長に就任。京都市内博物館施設連絡協議会幹事長、琳派400年記念祭委員会専門委員なども務め、2015年には京都国際観光大使に任命される。
森田りえ子(もりた りえこ)/1955年神戸市生まれ。京都市立芸術大日本画専攻科(現大学院)修了。81年の第7回春季創画展春季展賞をはじめ、86年の第1回川端龍子大賞展大賞、2000年の京都市芸術新人賞など受賞多数。四季の花や舞妓などを中心に描き、その独自の世界観と卓越した描写力が評価されている。13年、京都市立芸術大客員教授に就任。

日本文化の奥深さを再発見
細見良行さん門川市長 本日は細見美術館長の細見良行さん、日本画家の森田りえ子さんをお迎えしました。現在開催中の「伊藤若冲(じゃくちゅう)-京に生きた画家-」展(〜9月4日)でますます注目の細見美術館。早くから琳派や若冲に着目され、京都に。
細見さん 日本の古美術品があふれる家に育ちましたが、僕自身はヨーロッパ一辺倒でした。ところが22歳の時に訪れたアメリカの美術館で、「日本美術ってかっこいいな」と。日本ではまだ蛍光灯で展示していた時代に、専門のライティングスタッフが作品に合う照明を当て、それは美しく見せていたんです。それから各地の日本美術コレクションを訪ね、40歳を過ぎた頃に「集めたものでそろそろ美術館を」と父に提案。場所を探すうち、京都・岡崎が東京・上野と並ぶ二大文化集積地だと“発見”して決めました。
森田さん 最高の場所ですね。
門川 開設当時は、西洋のものなら人がたくさん集まるのに日本美術展は一桁少ないという時代。その頃から岡崎で日本美術の素晴らしさを発信し続けておられます。森田さんも京都市立芸大入学後、京都で日本画の道を歩まれ、今日では第一人者に。
森田 神戸出身の私は幼少の頃から絵が大好きでしたが、絵描きになれるとは思っていませんでした。ところが高3の夏、予備校の先生に思いがけず「京都市立芸大を受けたら」と勧められて。ただ入学後の6年間は絵よりもコンサートや演劇に熱心だったんです。それが大学院を出た頃、恩師の日本画家・石本正先生が主催された欧州ツアーに参加し、先生方がスケッチに挑む姿を目の当たりにして自分も絵描きになろうと。25歳の決意でした。実は私も細見さんと同じく西洋への憧れが強かったんです。でも京都で素晴らしい日本美術を日常的に見るうちに、西洋にはないものの見方や柔軟性に魅力を感じて琳派や若冲などに傾倒、さらに新しいものを融合させて今の形に発展してきました。
門川 お二人のように外国の文化に魅かれ、その後日本の文化を見つめ直された方々が各界で活躍しておられるんですね。

今も色あせぬ若冲の魅力

森田りえ子さん門川 今の若冲ブームのきっかけは2000年の京都国立博物館での若冲展といわれていますが、細見美術館ではそれより早く若冲の展覧会を開催されました。細見さんにとってそもそも若冲の魅力とは。
細見 若冲は異常なほど絵が好きでひたすら描いた天才です。上層町衆で財力もあり、良い顔料がそろえられた。さらに18世紀の京都は多くの絵描きが競い合った時期。円山応挙も与謝蕪村も少し時代が上ると尾形光琳も、みんなご近所さんだったんです。そんなすごい土壌に彗星(すいせい)のごとく現れた若冲が、京都の「伝統」と「革新」をうまく合わせたといえるでしょう。
門川 希代の絵師・若冲は、京都の豊かな文化的環境の中で生まれたわけですね。森田さんの「KAWAII・GITAI」シリーズには、若冲にオマージュをささげた作品がありますね。
森田 若冲の『動植綵絵(どうしょくさいえ)』の『老松白鳳図(ろうしょうはくほうず)』の鳳凰を模写し、顔は人間に付け替えた『ホウオウ』です。鳳凰に憧れた少女が、擬態してホウオウになるというストーリー性を持たせました。若冲との出会いは大学1年の時。日本画の最初の授業でおりの中でバタバタ走る鶏を写生したところ、先生に「鶏を描くなら若冲を見なさい」と。それで初めて見て「すごいな」と思ったのが始まりです。今年の相国寺承天閣美術館での個展の時、若冲が260年前に金閣寺大書院に描いた襖絵(ふすまえ)が私の絵のすぐ隣にあって、鳥肌が立ちました。「京都で日本画を描いていて良かった」と実感したんです。
細見 若冲も当時は得意満面だったはずですよ。金閣寺の襖絵ですから、画家にとっては最高の名誉です。
門川 そして250年たって今度は森田さんが金閣寺の杉戸絵を(方丈の杉戸絵8面を2007年に奉納)。京都がある限り何百年、何千年と残る。
森田 本当にありがたいことです。

過去も未来も京都は文化の発信拠点
門川大作京都市長細見 世界史的に見ても、着飾った人々がまちを歩いていたのはおそらくルネサンス期のフィレンツェと18〜19世紀頃の京都ぐらい。京都では上層町衆の6割くらいが着飾っていたそうです。
森田 そういうまちだから美意識がものすごく高い。30年前京都に移り住んだ理由の一つです。でもだからこそ、どこよりも京都で個展をするのが一番怖いんです(笑)。
門川 ほんまもんを見抜く目がありますからね。
森田 そうなんです。それから環境の素晴らしさも魅力でした。京都はまち自体が博物館。世界遺産や素晴らしい美術品、歴史に選ばれたものがそこら中にあって、それらと対話できるまちだなと。
門川 私もその通りだと思います。でも京都には実際の博物館も多いんですよ(笑)。200以上の博物館・美術館などが集う京都市内博物館施設連絡協議会(京博連)は世界でも例を見ないほどの組織。2019年に開催される世界博物館大会(ICOM)は、京都が圧倒的な支持で開催地に選ばれましたが、細見さんが幹事長を務めておられる京博連の活動も高く評価されたんです。
細見 今年開催されたICOMのミラノ大会では、「京都」のアナウンスに全員が総立ちで拍手。「京都は僕らが思っているよりもすごいまち、世界にこれだけ響くんだ」と感動しました。
門川 世界の歴史都市の中で精神文化、芸術、ものづくりなどが千年を超えて継承されてきた百万人規模のまちは京都だけ。伝統産業は今、全国的にも非常に厳しい状況ですが、文化庁移転によって京都から日本全国を元気にしていかねば、京都の責任は重いと感じています。
細見 僕も京都への文化庁移転は大賛成です。あと、芸術系大学がこれだけ多い京都ですから、これからは文化の発信拠点として、アーティストの作品を発表する施設ももっとあればと思います。
門川 ちょうど市立芸大が京都駅から徒歩10分の崇仁地区に全面移転する計画(2023年供用開始予定)で、ここに美術館的機能も持たせます。周辺にはギャラリーも増えていますから現代アートの拠点にもなる。何よりうれしいことに地元の人たちも大歓迎、協力を惜しまないと言ってくださっているんです。
森田 私は東山七条に校舎があった時代の学生でしたから、よくまちなかに出かけていました。文化にすぐ触れられる場所への移転は大賛成です。
細見 まさにご英断。岡崎と崇仁、文化の二大拠点ができますね。
門川 はい。1933年開設の京都市美術館再整備の基本設計もこのほどまとまりました。歴史ある本館の東側に新館を建設し、本館の正面入り口には新しい地下エントランスに自然に導かれるスロープ広場を整備。館内には、ミュージアムショップやカフェ、現代アートギャラリーなどが整備され、展示・アメニティー機能が飛躍的に向上します。
細見 最近、岡崎が整備されてどんどんにぎわいを増してきました。私たちも地域の活動に協力・参加し始めています。東京五輪が開催される2020年に向けて京都からも盛り上げていきたいですね。
門川 オリンピック・パラリンピックは文化の祭典でもありますから、オール京都で「京都文化力プロジェクト」を。まず今年の10月にスポーツ・文化の指導者約千人が京都に集う「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」を開催します。世界でさまざまな難しい問題が起きている今こそ、平和な世界を文化で築こうというメッセージを発信していきます。
森田 まさに「和」の精神ですね。私もこれから日本画の枠にとらわれずグローバルな活動をしていきたいと思います。伝統工芸とのコラボレーションや服飾のデザインにも携わりたいです。
細見 西洋の服は模様ですが、着物は「絵」。ですから画家がデザインするのも全く不思議ではないと思います。
門川 それはいいですね! 京都市美術館ではこの秋「若冲の京都 KYOTOの若冲」展を開催。文化庁が移転する京都で、若冲が活躍した18世紀のように新たな文化が次々と花開くようお二人にはますますお力をお貸しいただきたい。どうぞよろしく。



第37回対談

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