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(11)彼女はぽつり、キラキラ見えたけど見間違いどした


  夕映(ゆふば)えを見かはして、女もかかるありさまを思ひの外(ほか)にあやしき心地はしながら、よろづの嘆き忘れてすこしうちとけゆく気色(けしき)いとらうたし。

古典セレクション「源氏物語」(小学館、校注・訳 阿部秋生、秋山虔、今井源衛、鈴木日出男)から一部転載。

 源氏の君17歳の秋。夕顔は19歳、惟光(源氏の乳兄弟で従者)は源氏と同年齢か少し上とされる。

 

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語

 源氏の君と夕顔はん、お昼近(ちこ)うなって、ようやっと起きてきはって、自分で格子あげはってね。で、外みたら、そのふうるいお寺んなか、もう、ぼっろぼろなん。ずうっと遠くまで、まるっきりひと気なんかないし、木立は古すぎて、めっちゃ不気味やし。

 近くの草木は、なーんもおもろいとこあらへん。地味な秋の野っぱらみたいで、池もしょうもない藻にみっちり埋まったあって、ほんま、きっしょいだけやねん。

 別の棟に、部屋っぽくして、番人が住んだはるらしいけど、こっからはえらい遠いん。
 「うはは、なんや、だぁれもいいひんね」と源氏の君。「けど、まあ、鬼なんかも、僕だけはスルーしていかはるしね」

 顔はまだ、覆面で隠してはんねんけど、夕顔はんの表情が、ほんまにつらそうなんはようわかるん。けどなあ、こんな仲にまでなっといて、いまさら隠しごとしてんのも、へんな話やんなあ、そない思わはって、
 夕露に 紐(ひも)とく花は 玉ぼこの たよりに見えし えにこそありけれ(夕方の、露みたいな僕に、君は、下紐ほどいて、ステキな花を見せてくれたね。通りすがりの道で、会(お)うたその縁!)

 「どないや、この露の光は?」て、自信たっぷり。彼女は横目でこっち見て、
 光ありと 見し夕顔の上露(うわつゆ)は たそかれ時の そらめなりけり(キラキラしたはる! そない見えた、夕顔の上露みたいなまぶしいお顔は、たそがれ時の、見間違いどした)

 て、ほのかな声。

 うわ、おもろいやん! て、滅多(めった)にないくらい、本心からうちとけはってね、場所が場所やさかい、その様子がかえって、なんかコワいくらいやねん、不吉、ていうか。

 「なあなあ、もうずーっと、そっち、むいたっきりやん。腹立つし、こっちも、名無しの権兵衛で、て思ててんけど…な、じれったいし、ほんまの名前おしえて! 誰なん?」

 「……ふふ、海女ちゃん♡」

 とか、遠慮しいしい、わざと、えらい甘えてみせはんのん。

 「ま、ええわ」と源氏の君。「照れとんねんな、この僕に」て、まだまだ、女心がわかったはらへん。そのまんま、いちゃいちゃ、べったり、日暮れまで過ごさはるん。

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語
撮影・吉田清貴

 惟光(これみつ)くん、源氏の君を探しあてて、お菓子とか持ってきはるん。夕顔はんの侍女で、自分の恋人の右近はんが、あとから何いわはるかわからへんし、そんなおそばには、控えてられへんのん。「そやけど、あの君が、こんなにべったり、うつつ抜かさはるか! ま、そんだけのお相手、いうこっちゃな。俺が先にいってもうたってもよかってんけど、ま、今回は、源氏の君に、よろしゅうおあがり! 太っ腹やなあ、俺」とか阿呆(あほ)なことを。

 たとえようもない静かな夕空を、源氏の君はじっと眺めたはる。奥のほうは暗いし気色悪いから、夕顔はんは簾(すだれ)をあげて、君のそばでじっと伏せったはる。日の終わりの夕映えに、なんやしらん胸をどきどきさせながら、ふだんの気張りを抜いて、ちょっとずつ、こころを開いていってくれる様子が、ほんまにかわいらしいん。一日じゅう、自分にとりすがって、こわい、こわいのん、てくりかえす彼女が、幼げでいとおしいん。

 源氏の君、さっさと格子をおろさはって、灯(あか)りもつけさせ、「からだのすみからすみまで、こんなに知り合ってんのに、まだ、こころの奥に、カギかけてはんねんな。ハア」

 帝(みかど)さま、心配したはるやろか。なんで、こんなことになってるんか、自分でもようわからへん。六条のあの女、僕を恨んでもしゃあないけど、あの堅苦しいのんは、ほんま、かなんなあ!

 この目の前の彼女みたいに、なーんも考えてへんくらいが、僕にしたら、ほんま、ちょうどええねん…。

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語

いしい・しんじ

いしいしんじさん
 1966年大阪市生まれ。京都大卒。主な作品に「麦ふみクーツェ」(第18回坪田譲治文学賞)、「ある一日」(第29回織田作之助賞)など。2009年から京都市在住。

【2017年06月13日付京都新聞朝刊掲載】