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千年の歴史に暮らしを重ね

(壱)うつつの昔
(写真上)春はあけぼの。昔も今も変わらない風景がある(京都市中京区から東山をのぞむ。撮影=吉田清貴)
(下)周囲の町並みは変化したが、敷地内には緑が残り、仰ぎ見る空の色も昔とそうは変わらない(京都市下京区・杉本家住宅)

 春はあけぼの、としらじらと明ける東山を望む心もちを清少納言が表現した春は梅が咲き始めるころだから、晩春にむかうとなれば、水面に桜花は流れゆき、肌をあらわにした枝はそそくさと芽を吹きいそいで、足早にむかう初夏のみじかい夜の情景へと心はうつりはじめる。

 日はどんどん長くなり、西の山ぎわがいつまでも日の明かりを恋しがって手放さないので、先に山影が深く群青色に沈んで盆地を夜に包んでゆくような、ゆるやかな夜へのプレリュードが、これからはじまる夏の夜をさらに待ち遠しくさせるから、いよいよ蛍の交わすしずかな息づかいにも、心は早打ちはじめたりする。

 一年じゅう、色あい、音のひびき、肌ざわり、味わい、匂(にお)いに、季節の移りを感じて日々をかさねるのは、千年前も今もかわりがない。たとえ町並みは変わろうとも、方丈にとおる大路小路を歩くときに、山の景色が映らないはずがないように、たとえ生活習慣が変わろうとも、朝夕の日に、満ち欠けする月に、馳(は)せる思いに変わりが生じることもない。この月をあの人も見ていたかしら、とつぶやき見上げる空、落ちる影法師とたたずむ夕べも、いく度となくくり返されることだろう。

 いまから二百十年前の寛政八年二月。杉本家三代目新左衛門秀明(注1)が、数えの二十七歳から書き始めた『萬覚帳(よろずおぼえちょう)』という記録がある。秀明の後は、代々の主が引き継ぎ、明治三十七年十一月までが三帳に分けて綴(と)じられている。

 帳面を開けば、矢田町に家屋敷を持つ町衆として担った町役の勤め、祇園会「琴破山(注2)」にかかわる記述、下総佐原、同佐倉(千葉県)の遠隔に設けた支店とのやりとり、役所へ届けた書類の下書き、大火事の記録など、一ページ繰るごとに先祖の生きた時代の匂いが形をおびて漂いはじめる。

 特に秀明の長男(四代目)、次男(五代目)誕生の記録、節句、髪置、袴着(はかまぎ)といった、無事な成長がうかがえる記述にあたると、それから後の人生の歩みが知れているだけに、いっそうしみじみと先祖のことが思われてくる。

 儚(はかな)く幻のように通りぬけてゆく今も、いつしか現(うつつ)のものに留められる日もあることかと、家のおこうこを噛(か)みしめお茶漬けをすする春雨の宵のこと。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)

 (注1)杉本家三代目新左衛門秀明 一七七二(安永元)年−一八三一(天保二)年。
 (注2)琴破山(ことわりやま) 祇園祭に参加する山のひとつ。明治四年、政府の求めに応じてご神体の名を採って「伯牙山」と改められた。

 京都市指定有形文化財杉本家の四季折々の暮らしや風景をつづってもらいます。

すぎもと・うたこ氏
1967年、京都市生まれ、杉本家当主で保存会理事長の秀太郎さんの三女。杉本家で道具類・古文書資料の整理、調査、研究に従事。京都造形芸術大非常勤講師。

【2008年4月7日掲載】