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変わる風情、変わらぬ心

(四)琴線
(写真上)家の奥では、ときおり祖母のつま弾く琴の音が静かに聞こえていた(京都市下京区・杉本家住宅=撮影・吉田清貴)
(下)村瀬玉田が描いた「伯牙山」(財団法人奈良屋記念杉本家保存会所有)

 ある年のこと。辻を少し入って四条を巡行する鉾を垣間見ようと待っていた。

 お囃子(はやし)ばかりが幾重にも反響してあたりを覆っていた。ほんの少し、時を先取りしたかのように、窓に映りこんだ鉾がまず現れた。 この幻影は今の祭の風景。意外なことに美しい。

 毎年、新町あたりから鉾の並んだ四条を東に向いて見渡す。両側をビルに挟まれた山鉾は、すっかり身を縮めて細く収まっている。

 かつての巡行は、遠くに甍(いらか)の波を進む鉾の屋根、その上にくねる心棒、その先に振れる鉾頭(ほこがしら)が、真っ先に待ちわびる人々の心をつかみ、釘(くぎ)付けにしたと聞く。

 囃子方には、連なる家並みと、眼下にうねる見物人の粽(ちまき)をもとめる腕のうごめくのが映じていた。

 お供の衆にしても、むんむんと蒸せる熱気をものともせぬ誇りが体の芯(しん)に脈打ち、歩みを助けていた。

 祭をとりまく状況は、時代とともに変わる。宵山にあがる駒形提灯の灯が蝋燭(ろうそく)から白熱灯に代わって久しい。今年は蛍光灯になるという。でも、表となり、裏となり、祭を支える人々の鼓動は響き続ける。

 祭に役を担うのは、男ばかりでない。

 「伯牙山」(注1)を有する矢田町に嫁いできた母には、主(あるじ)が立派に祭の役を果たせるよう、心を配り、見送り、そして迎える役がある。巡行の見物に出掛けることはない。

 こうした女の姿は、大きく、ぶ厚い。

 巡行へは、よく祖母のお供をしたが、祖母にこうした役がなかったわけではない。

 祖父は家業の都合で千葉県から戻れず、祖母は送り迎えする主が留守のお祭りを送った人だった。

 祖母は、いつも長刀鉾が新町に戻る頃(ころ)合いをみて、御池まで新町通をまっすぐ北に向かった。

 山や鉾が出払って、気の抜けた新町を二人てくてく通り過ぎる。足元には、梅雨明けの影がまとい付いていた。

 今は、祖母と一緒に出掛けた同じ路をひとり歩く。そして、どこまでも静かな祖母と祭の情景を思い出す。

 そういえば、宵山には、外に響くお囃子、見物の賑(にぎ)わい、粽を売る子供らの声。家の奥では、ときおり祖母のつま弾く琴の音が静かに聞こえていた。

 その響きは、琴の音を聴かせる相手を失った伯牙の心情と重なっていたように思われる。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)

 (注1)伯牙山の人形は、周時代の琴の名手、伯牙。琴の音を理解する親友、鐘子期(しょうしき)の亡くなったのを聞き、伯牙は「もはや私の琴を聞いてくれる人はなくなった」と嘆いて、弦を断って再び弾く事はなかったという(「呂氏春秋」)。現在の山の名前はこの故事に基づいて付けられた。

【2008年7月7日】