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小さな生に、使い込まれた物に

(五)眼差し
(写真上)東海道の関所を通過する際に必要だった木札の通行手形=中央。鼻掛け眼鏡は二代目の持ち物だ(京都市下京区・杉本家住宅=撮影・吉田清貴)
(下)この夏におびただしい穴を地面に残して羽化した数知れない熊蝉

 今朝、木陰に飛来したお歯黒蜻蛉(とんぼ)。夕べには蟻(あり)の巣穴の入口に「ハ」の字に羽だけとなり落ちている。この夏におびただしい穴を地面に残して羽化した数知れない蝉(せみ)も、今は仰向(あおむ)けに転がっている。これもいずれは、そよ吹く風に羽をゆだねることになる。

 そして一粒の雫(しずく)にさえ溺(おぼ)れそうになる蟻は、黒いひと筋の線を地面に描き、こうした大小異形の夏の屍(しかばね)をきれいに掃除することに余念がない。

 庭におりて、日がな一日この黒い小さな生き物を目で追うた画家、熊谷守一(注1)は、蟻は左足から歩き始めると語ったそうだ。この眼差(まなざ)しは、深く心の奥に歩み入って詩の種を落とす。

 ひとつの事象、歴史を前にしても、その見方は色々(いろいろ)。そこから何を見るかもさまざま。

 八月五日の「宿場入(やどばい)り」(注2)の日。座敷の床を飾る初代から三代目までの遺品、遺徳の品は数あるが、そのいくつかを前にして、いまその歩みにお供しよう。

 まずは、遠隔の小売店(千葉県)まで出向く際に着用した継ぎの当たった木綿の道中着、雨合羽(がっぱ)、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)。どれも小柄でくたびれている。

 木綿の簡素な初代の煙草(たばこ)入れは、二代目で牛革製となり、三代目には黒繻子(しゅす)の表地に緞子(どんす)の裏地、べっ甲の爪(つめ)が付く。

 東海道の関所を通過する際に必要だった木札の通行手形などは、すっかり角が取れて丸くなっている。

 その他にも、道中の茶屋に腰を下ろして一服したであろう煙管(きせる)、木製の歯ブラシなどもある。

 二代目の持ち物には、鼻掛け眼鏡。三代目のは、どれもちょっと贅沢(ぜいたく)になる。

 経営の才に長(た)け、商売を立派に遂行した三代目は、店員の訓練に大変な注意を払っていた。そして以降の奈良屋を支え続けた「憲法」とも言える店員の指導書「教文記(きょうもんき)」(注3)を残した。

 これは、京の本店のみならず、千葉の小売店でも毎月朔日(ついたち)の夜に全店員を一室に集め、上役が読み上げて聞かせたという一文。

 物理的な距離を克服し、全員を一つにまとめあげたその文は、読みあげる度(たび)、耳にする度に深く心に届き、こだまする文言にあふれている。

 それは、幾多の胸に植えられた道の種となり、今につづいた。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)

 (注1)熊谷守一(洋画家、一八八〇−一九七七)単純化した形と色彩には、じっと対象を見つめた温もりある眼差しが感じられる。
 (注2)「宿場入り」別家独立を許され、一軒の家を持つこと。当家では、のれん分けされて、一廉(ひとかど)の店を持った日とされている。創業記念日。
 (注3)「教文記」の原文は、三代目杉本新左衛門(一七七二−一八三一)によって書き定められている。以下に抜粋。
「(前略)父母の恩徳は産み落とすよりも懐に抱き、仮寝の床に臥(ふ)すとも我は濡(ぬ)れたる方へ、乾ける方へ児(こ)を寝させ三伏の夏の夜も冬の寒きも肌に添え、親の恩恵の深き事しばらくも忘れず奉公大切に勤められ、身も心も親より預かりし一生大切な形見と心得る事、孝経の教えの御教育有り難く存じ候(そうろう)(中略)教えに随(したが)い少しも私なく正直正路を基として奉公大切に相勤め候はば、忠孝の道にかない申すべく候間、心得違いこれ無きよう頼み入り候」

【2008年8月18日掲載】