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花嫁照らす和蝋燭の灯り

(六)明治婚儀の次第(上)
(写真上)為一とたつとの婚儀の次第を記録した帳面「明治廿七年甲午歳婚儀式記録」(財団法人奈良屋記念杉本家保存会所有)
(下)和蝋燭の灯りのもと、三三九度の盃が交わされた(京都市下京区・杉本家住宅=撮影・吉田清貴)

 明治時代。世の中の様子が変わっていった時代。

 後世にもっとも大きな変化をもたらしたのが電気。

 明治二十二(一八八九)年に京都蹴上に日本初の水力発電所が完成。二十四年に一般に通電が始められるや、電灯の普及がすすんだ。明るい電灯が照らし出す部屋の隅々、天井の角(すみ)。さぞや掃除の手は忙しくなったことだろう。

 そんな移りゆく明治二十六年のこと。

 六代目新左衛門のもとに、倅為一(せがれためかず)の縁談話が持ち込まれた。相手は、名古屋市伊勢町で美濃紙、麻を商っていた岡田徳右衛門の分家、岡田良右衛門の二女たつ十六歳。

 今、手元に残されているこの婚儀式の記録には、時代に相応した近代的な一面がうかがえる。そんな中にも、ひとつ江戸時代を踏襲した風景が残されている。

 当時、すでに当家の座敷には電灯が取り付けられていた。それでも、和蝋燭(ろうそく)の灯(あか)りのもと、三三九度の盃(さかずき)が交わされた。

 この婚儀の次第を記録した帳面「明治廿(にじゅう)七年甲午歳婚儀式記録」によると、婚儀は四月。午後四時に新婦方の使者が二人の従者と土産物を納め、続いて新婦、両親、仲人が到着。日暮れより婚儀式が始まった。

 夜に執り行われた儀式は、こればかりでない。婚儀に先立つ結納や新婦の荷物受納も、午後七時の記録が残る。

 夜の儀式。

 それだけで、何もかもが神秘めいて、厳かに思われる。けれど、何と慌ただしいことだったろう。無論、多くの手伝い人はいて、いちいち役割も振り分けてあったから、万事滞りなく運んだにちがいない。近所へも、今晩嫁取りだから騒々しくなることを断っておくのは、『歳中覚』(注)に定められているとおり。

 それにしても、大抵の儀式が朝に行われる今の婚礼式とは全く異なる習俗が、さほど遠くない昔に当たり前のように行われていたことに驚かされる。

 式当日に新婦が着用した打掛(うちかけ)などは、どれも闇の中のほのかな灯りで映えるよう、綸子(りんず)地に豪華な刺繍(ししゅう)で松竹梅が描き出されている。刺繍の金糸が光を放ち、ぬめのある綸子の光沢が初々しい花嫁たつの白い顔をうっすらと染めた。

 遠い昔の、時代劇の一場面のような風景が、この屋敷で繰り広げられた。現実と空想が錯綜(さくそう)する。

 それでもこれは、たかが百年あまり前の曾祖母様(おおばあさん)の嫁入り話。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)

 (注)杉本家三代目新左衛門(安永元−天保二年=一七七二−一八三一)が、数えの二十七歳から書き始めた年中決まりの備忘録。その後は、代々の主(あるじ)が引き継ぎ、明治三十七(一九〇四)年十一月までが三帳に分けて綴(と)じられている。

【2008年9月1日掲載】