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絵のみ残る 空也僧の茶筅売り

(九)師走の風物、音の風景
(写真左)庭の地面を紅葉した落ち葉が染める風情を楽しんだ後は、お庭掃き。一年を締めくくる準備が始まる(京都市下京区・杉本家住宅=吉田清貴)
(写真右)渡辺虚舟の短冊。藁ヅトに竹ぐしを刺し、そこに茶筅をかけたものを持つ空也僧の姿が描かれている(財団法人奈良屋記念杉本家保存会所有)

 年の暮れ、一年の節目。この月を昔は極月(ごくげつ)といっていた。古文書に見るこの二文字の響きは重く厳しく、商家の心を表しているようで、ぐっと迫る力を感じる。

 このひと月、実にさまざまな年の瀬の風物と、それにまつわる音が押し寄せる。

 家では、年々遅くなる紅葉が何かと忙しいこの時に地面を染め始める。落ちる短い日に照って染まった障子に秋の名残を楽しんだ後は、お庭掃き。箒(ほうき)の音は年明けまで止(や)むことはない。

 格子戸の外では、年の瀬の響きが足早に往来し始める。

 まず、宇治黄檗山の禅僧の托鉢(たくはつ)の声。朝の冷えた空気をきって、ずんずん移動する。近づいては遠のく声を聞いて姿を耳で追う。時に目にして焼き付いた姿が、ありありと浮かぶ。素足にわらじが冷たいアスファルトを蹴(け)り、衣の袖は北風をはらんで僧の両脇を泳いでいた。

 事始めから大晦日(おおみそか)まで、かつて、近くの空也堂(注一)の僧が手製の茶筅(せん)を売り歩く風物があった。

 渡辺虚舟(注二)が一九一九(大正八)年に茶筅を売る空也僧を描いた短冊がある。竹ざおにつけられた藁(わら)のツトに竹ぐしを刺し、そこに茶筅を十数個挿して下駄(げた)を鳴らして歩く姿がそこにある。腰には空也堂の僧侶であることを証す瓢箪(ひょうたん)を付けている。(注三)茶筅を所望する家があると、ぬっと、ツトごと突き出して好みのものを選ばせた。「大福(おおぶく)茶筅」と発する声の抑揚を今となっては知る由もないのが、残念に思われる。

 絵の僧は、顎を突き出し、藁ツトを肩にもたせ掛け、さおのバランスを腕の重みで保っている。この印象では、無愛想にすら見える自然ななり振りもさすがは堂に入っている。

 手元にある一九五七(昭和三十二)年に発行された「緑紅叢書8」には「空也僧も減じ、希望される家のみ廻(まわ)って古風を保存」と書かれている。絵師虚舟が聞いた茶筅売りの声は、この頃には絶えかけていた。同書には、「茶筅売りの装束」に身をやつした空也僧の姿がみえる。

 こうしてみると、日々の行い、時節の行事が何ともなしに執り行われている間の在(あ)りようこそ、大事と思わねばならない。元来の底力が失われてしまったとき、行いは「型」となり体裁ばかりが整えられた果てに、消える。

 さて、正月にいただく「大福茶」(注四)。この茶筅でお茶を点(た)てると無病息災の御利益があるといわれた。

 初春の茶に、空也堂の大福茶筅は福々しい音を添えていた。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)

(注一)空也堂は、蛸薬師通堀川東入るに位置し、天台宗の寺で正式には光勝寺という。半俗半僧のまま念仏をひろめた空也上人像を本尊としている。
(注二)渡辺虚舟 明治から昭和の四条派の絵師。生没年不詳。
(注三)ある日、空也上人は可愛がっていた鹿をある猟師に撃ち殺されたが、その鹿の角を杖の先につけて、猟師に仏教を説いた。発心した猟師は瓢箪を敲(たた)いて上人の法語をとなえて修行して歩いたことに由来する。空也堂は六斎念仏の本山として知られ、踊躍念仏では瓢箪を敲いて踊る。
(注四)「大服茶」とも「王服茶」とも書く。茶湯に梅干し、昆布などを入れて正月にいただく。

【2008年12月1日掲載】