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切なる願い 静かに手合わす

(十)祈りの実
(写真上)「円山応挙筆『日ノ出若松』の軸一幅と三宝に熨斗、昆布、橘の熨斗押さえがお正月の床飾り。羽根つきのかぞえ唄を書いた富士さんの屏風を添わせて(京都市下京区・杉本家住宅=吉田清貴)
(下)庭の無患子の実。昨年は小ぶりだったが、大きい年は直径2センチほどにも。表皮をむくと、黒い実が現れる

 寒中の見舞いも交わさないうちに年が明けた。新春とは名ばかりの弱々しい日差しに、庭には摘みとるべき菜もない。それでも七日には、ようやく春の草を数種そろえる。「唐土(とうど)の鳥と 日本の鳥が 渡らぬ先に 七草(注一)なづな(後略)」の囃(はや)し唄(うた)と、湯がいた菜をたたく音が朝のたたき(注二)に響く。そして、七草粥(がゆ)のやさしい湯気と菜の香りが、氷のように澄んだ空気にとける。お正月の祝いは、お飾りや晴れやかな賑(にぎ)わいとは異なるところにも、こうして感じられる。

 久しく耳にすることのなくなった羽根を突く音、かぞえ唄も、そのひとつ。無花果(いちじく) 人参(にんじん) 山椒(さんしょう)に紫蘇(しそ) 牛蒡(ごぼう) 零余子(むかご) 七草(ななくさ) 薑(はじかみ) 九年母(くねんぼ)に蕃椒(とうがらし)。

 この唄は、一隻(せき)の屏風(びょうぶ)になって残っている。書いたのは、富士正晴(注三)。お酒が大好きだった富士さん。ある夜、父と共に盃(さかずき)を重ね、そのまま家に一泊した翌朝のことだった。父に何か書いてと頼まれて、家にあった古い無地の砂子六曲(すなごろっきょく)に筆をおとされた。この父の思いつきが、「羽根突唄」となって残った。

 羽根つきの羽の先に付いている黒く固い実は、無患子(むくろじ)の種。この樹は高さ十八メートルにもなる落葉樹。秋には直径二センチほどの黄褐色の外皮を持つ実を多数、神楽鈴(かぐらすず)(注四)のようにつける。

 裏庭の北に、大きく成長した無患子が植わっていて、毎年たくさんの実を付ける。以前は、羽根つき遊びを守りたいと望む人の元へお分けしていたが、とうとうそれが途絶えた。

 さて、どうしたものかと思案の末、糸を通せるように穴を開けることに行きついた。そうすれば、この庭の恵みでお数珠が作れる。以前に、この実でお数珠を新調したことがあった。

 祈りの手元に、この鈍く黒光りする実が添うて、願いと共にあれば嬉(うれ)しい。

 宗旨、宗派はさまざまあっても、年頭は初詣をする大勢の祈りに始まる。一心に手を合わす姿には、それぞれの切なる願いがある。人は希望に生かされ、その希望を叶えたいと願っている。そして、その願いが祈りを生んでいる。

 代々浄土真宗に帰依している当方では、歳徳神(としとくじん)(注五)を迎える行いはない。それ故、門松も置かず、注連縄(しめなわ)も張らないが、元旦の朝に家族全員、仏間に集まり、新年を迎えた挨拶(あいさつ)をかわす。昔は、早朝、日も上がらないうちに西本願寺へ参詣していた。続くお墓参りには、箒(ほうき)を新調持参して掃除をするよう、年中の定めとして記されてもいる。

 いつ頃(ころ)からか、起床の時間は無理のない刻限にずれ込み始めた。それでも、先祖を支え、家業を支えた教えや恩恵に感謝して、大谷本廟(びょう)へ詣でる。

 今年も変わらず新年を迎えられたことを寿(ことほ)ぎ、各々(おのおの)手を合わせて静かに一月が始まった。

(奈良屋記念杉本家保存会学芸員)

(注一)芹(せり)、なづな、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏の座、すずな、すずしろ。
(注二)町家にみられる、長く奥へとまっすぐに通された走り庭と称する吹き抜けの通路の、特にお台所をさす。固くたたきしめた地であるところから、この名がある。
(注三)富士正晴(一九一三−一九八七)七十四歳没。小説家、詩人であり、絵、書にも多くの作品を残した。
(注四)巫女(みこ)が神楽を舞う際、手に持つ鈴。
(注五)新年の神。

【2009年1月5日掲載】