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(12)建築家 岸和郞さん×書家 川尾朋子さん

「京都」を引き受ける
 世界遺産に登録された寺社仏閣が建ち並び、文人墨客の足跡が今も残る京都。歴史に裏打ちされた美が息づくこの街は、芸術家に大きな恩恵をもたらす一方、強い覚悟も求めるという。点と点の間の筆の動きを可視化した作品群など斬新な表現で注目される書家川尾朋子さん(39)と、京都を拠点に国内外で活躍する建築家岸和郎さん(66)が、芸術家として京都で生きる難しさと醍醐味(だいごみ)を語り合った。

しんどいけど意地をかける

他府県出身という点で共通する二人。京都を拠点に、クリエイターとして生きることの重さをともに感じている(京都市北区・紫野和久傳大徳寺店)
他府県出身という点で共通する二人。京都を拠点に、クリエイターとして生きることの重さをともに感じている(京都市北区・紫野和久傳大徳寺店)

 川尾 この建物(紫野和久傳大徳寺店)は、岸さんの建築家人生の転換点となった作品とお聞きしました。

  「『京都』を引き受けよう」という覚悟が決まった作品です。31歳で独立して京都に事務所を構えましたが、30代後半まで日本の伝統建築には全く目が向かなかった。思えば、懸命に逃げていたのかもしれない。だって、当時の事務所のすぐ近くに大徳寺ですよ。街に出れば、日本の建築のお手本みたいな建物が山ほどあるし。自分なりに良い仕事ができた気がしても、一歩外に出ると敗北感に打ちのめされる。「京都」に向き合おうと思えるまで、14年かかりました。

 川尾 その気持ち、よく分かります。街で見かけるお店の看板に何げなく富岡鉄斎の本物が掛かっていたりする。見るたびに衝撃を受け、自分の未熟さを思い知らされる気がします。また、私が日本の芸術の最高峰だと思っている「散らし書き」も京都が発祥。そんな場所で書道をすることの重みを、年を重ねるごとに強く感じています。

  僕も同じ(笑)。この街にいるのはしんどいよね。でも、この作品を完成させたことで腹が決まった。45歳ぐらいだったかな。大徳寺真珠庵が所有する土地にビルを建てて、そこに紫野和久傳さんがテナントで入る計画で、全体をプロデュースしたのが数寄屋建築の中村義明さん。以前、「中京(なかぎょう)の家」(1993年)で一緒に仕事をした縁で声を掛けてくれた。ここは敷地面積が20坪ほどしかないんですよ。中村さんが手掛けるような伝統的な日本建築なら、庇(ひさし)だけで4尺(約1・2メートル)は要る。でも、20坪から庇を4尺も取ったら、建物なんかできない。で、言うんですよ。「あんた、庇のない和風建築できるやろ」って。

■現代の和に挑戦

 川尾 うわあ、難しそう。それまでに、そんな経験はされていたんですか。

  ないよ。コンクリートや鉄の建築をする中で、茶室を造ったことはあるけど。でも、中村さんに誘われて初めて挑戦した。現代的なコンクリートと、中村さんの数寄屋の技術を使って「現代の和」ができるかっていうチャレンジだった。目指したのは、現代的な建築にしか見えないんだけど、どこか日本的な空間。でも、難しくてね。一度だけ、本当に仕事を降りようかと思ったこともあった。
 
 岸さんは、店内のあちこちを指し示しながら、当時、中村さんと互いの技の限りを尽くして工夫した部分を解説。店内の狭さを感じさせないよう、茶室のように薄い壁を造ったり、窓からの採光が楽しめるよう天井に白い和紙を張ったり。左官職人に頼んで、壁の一部をベネチアの漆喰(しっくい)の技法で塗らせたりもした。

  こちらが何を相談しても、絶対に「できない」とは言わない。今思えば、あれは数寄屋大工の意地だったのか。意地の張り合いがエスカレートして、やたらに凝った造りになってしまったりね(笑)。

 川尾 でも、そのおかげで誰が見ても「すごい」と驚くものになったのでは?

  いや、建築を知る人が見て「すごいね」って言ってくれる感じ。つい「プロ受け」を意識してしまう。

 川尾 京都の人は、物を見る目がありますものね。私も、京都に出てきて老舗の京表具職人の方と出会えたのが良かった。一片の書が、一流の表装技術によって見違えるほど引き立つ。「この表装に負けない作品を作ろう」と思えたことで成長できたと思う。

  京都は特別ですよね。東京にいれば、誰が見ても分かるようなものを造ればいいんだけど、ここではそれは許されない。白い天井を造る場合、東京だったら白ペンキ塗ったら済みますよ。でも、京都は一ひねりも二ひねりもしないと認めてくれない。

 川尾 それも、歴史や伝統に根差した裏付けがないといけない。ただ新しいことをすればいいわけじゃないですよね。

一流の技と品、見る目に学ぶ

川尾さんが手掛ける「人文字」シリーズの作品。「侍」の字がモチーフ
川尾さんが手掛ける「人文字」シリーズの作品。「侍」の字がモチーフ

 川尾さんは近年、一画ごとの空中での筆の動きを作品に取り込んだ「呼応」シリーズや自分自身を文字の一部にした「人(ひと)文字」シリーズなど新たな書の表現に取り組む。観客の前で大書するライブパフォーマンスも精力的に行っている。
 

■用と美と強

  あなたがライブパフォーマンスしている動画を見たんだけど、一字書いて次の字に移る時に、墨が落ちるのも構わずに数秒間止まって、それからおもむろに書き始めるじゃない? あの時って何を考えてるの。次の字のこと? あるいは、全体の構成とのバランス?

 川尾 書き出す前に全体像のイメージを作りますが、墨の量や線の太さ、造形はその時々で出方が違い、やはりイメージ通りにはいきません。まさに即興の芸術です。書き始めがうまくいかなくても、とにかく最後まで書かないと作品として成立しません。書は「可読性」が非常に重要なんです。「読めるもの」でなければ用をなさない。「用」と「美」が併存するところは、建築と似てるかも。

  建築は、そこに「キョウ」が加わります。

 川尾 「キョウ」は、どんな字ですか。

  「強い」という字。数千年前、ギリシャで建築の概念が生まれた頃にローマの建築家ウィトルウィウスが言った言葉です。「用」と「美」だけじゃなく、凛(りん)としたところが必要だ、という…。

 川尾 うわあっ。すごくいい言葉! 「用」と「美」だけだとクラフトですよね。クライアント(顧客)さんとの仕事では「用」と「美」を大事にするけど、それに「強」がないとアーティストとしての作品にならない。でも、実は私、「キョウ」って聞いて「狂」の字を想像してました(笑)。

  「狂う」ぐらい制作に熱中する、とか?

 川尾 「狂う」ぐらい集中しないと、作品に強度が出ないと言えるかも。鍛錬した者にしか出せない、全エネルギーを込めたような強い線を書くことに憧れます。「用」「美」に「強」。意識して作品制作に取り入れたいですね。

建築家 岸和郞さん

岸和郞さん

 きし・わろう 1950年横浜市生まれ。78年、京都大大学院修士課程建築学専攻修了。日本建築学会賞ほか受賞多数。京都造形芸術大学大学院教授。代表作に「日本橋の家」(92年)、「紫野和久傳」(95年)など。

書家 川尾朋子さん

川尾朋子さん

 かわお・ともこ 1977年兵庫県豊岡市生まれ。6歳で書を始め、同志社女子大入学で京都に移り住む。空中での筆の軌跡に着目した「呼応」シリーズや「人文字」シリーズなど新たな書の表現を探る。

【2016年10月13日掲載】