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| おめでとうと祝福される、ささやかな出来事…(京都市中京区)=撮影・栗本禎二 |
子どもの頃(ころ)は、誕生日が楽しみでしかたがなかった。皆がおめでとうと祝ってくれる。プレゼントももらえる。
十代のときは、誕生日が平日に当たったほうがうれしかった。せっかく一年に一度の特別な日に、友達に会えないのはつまらない。誕生日が夏休みに重なっていたり祝日だったりする子はかわいそうだと、幼心に同情した。
二十代になり、働き始めてからは、状況が逆転した。誕生日だからといって仕事を休むわけにはいかない。会議も残業もありうる。取引先に頭を下げながら、私、誕生日なんですけど、と心の中でつぶやいたこともあった。
次の変化が訪れたのは、一昨年のことだ。
五月中にと調整していた出張の日程が、最終週に決まったと知らされ、いいですよ、と私は二つ返事で答えた。手帳を開いて週半ばの三日間に矢印を引っぱり、そこでもまだ気づかなかった。どうもおかしな感じがして、並んだ数字を再び眺め、やっと思い当たった。ちょうど出張の中日が、私の誕生日だった。
誕生日が全くどうでもよくなったわけではない。年を重ねることに拒否反応を起こしているわけでもない。ただ、かつての特別な思い入れが、どこかに消えてしまったのだった。
でも今年、三十という区切り目は、やっぱりちょっと「特別」な気がする。
二十歳の誕生日は、よく覚えている。
私は京都にいた。左京区のはずれで、友達とバーベキューをしていた。アウトドアが苦手な私は、よりによってこの日にしなくても、と内心では不服だったが、親しい仲間はほとんど皆参加するので、ひとりだけ行かないのも気が進まなかった。渋々出かけたら、ケーキが用意されていた。誰かが炭火でろうそくを点(つ)けた。空の下でバースデーソングを歌ってもらったのは、生まれてはじめてだった。
周りは見渡す限り緑だった。目が黄緑色に染まりそうだった。美しい十年を、私は予感した。ここから始まる二十代には、いいことが、楽しいことが、いっぱいあるに違いない。
そうして迎えたこの十年には、いろいろなことがあった。
個人的なことはともかく、社会が揺れた。十年に一度の就職難、百年に一度の経済危機、千年に一度の大地震。強気で楽観的だった二十歳の自分を、嗜(たしな)めたくもなる。けれど一方で、あのとき降ってきた幸福な予感が全て幻だったとも、私には思えない。いいことや楽しいことがどこにもなかったとは、どうしても思えない。
三十代になにが起きるか、私にはわからない。わからないけれど、なにかいいことが起きると思う。起きるはずだと思う。私はもう、以前ほど強気でも楽観的でもない。だからこそ、強く信じることで、願うことで、やっていくしかない。燦然(さんぜん)と完璧に光り輝く未来ではなくても、ささやかでも、きっとこの先には祝福すべき出来事が待ち受けている。(作家)=おわり
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