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(50)目的成就は正しい認識に基づく

確かな思考を頼りに歩み続けたい

 4年余りにわたったこの連載も、ついに最終回である。先日知人が教えてくれたのだが、インターネット検索エンジンのグーグルで私の名前を検索したら、関連ワードとして「京都新聞」が自動的に表示されるらしい。わずかな字数で経典の深い世界観を描き出すのは毎回骨の折れる作業だったが、楽しみにしてくださった読者が多かったと知って、努力が報われた気がした。

 グーグルのシステムは、これまでに収集したデータを分析し、次に続きそうな語句を推論して教えてくれるが、推論という知的営みをもとに成長していくのは私たち人間も同じである。しかし、仏教は思考を軽視し直感を重視すると思われているのではないか。推論を重ねて、正しい知に到達する方法を考察した学僧の系譜があったことは、日本ではあまり知られていない。

 7世紀のインドで仏教論理学の思想を大成させた法称(ダルマキールティ)は、正しい認識を導く方法論を論じた多くの著作を残した。『論理のひとしずく』の冒頭では、「人の一切の目的成就は正しい認識に基づく」と書いている。そして彼は、正しい認識とは、感官の知覚や宗教的直感などの「直接知覚(プラティアクシャ)」と、概念によって現象を把握する「推論知(アヌマーナ)」の二つ以外にないと論証した。

 法称の遺(のこ)した論理学の書物は漢訳されることはなく、他の仏典のようには日本に伝わらなかった。この系譜を受け継いだのはチベットである。チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパは、「比丘(びく)たち、あるいは学者たちは、焼いて切って磨いた金のように、正しく吟味して私の言葉を受け入れるべきで、尊敬のゆえであってはならない」と言った。ダライラマ法王が科学者と対話を重ねてきた背景にも、実験と推論による知を評価しようという態度がある。

 私は大学時代に、仏教が人間の知性を尊重してきたことを学んで、大いに刺激を受けた。この連載も、経典に向き合って考え続けたおかげで、ずいぶん成長させていただいた。これからも確かな思考を頼りにして、人生の歩みを成就させていきたい。

 長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

(池口龍法・「フリースタイルな僧侶たち」前代表、龍岸寺住職)

【2017年03月07日掲載】