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(4・完)誘惑の効用 文化人類学者 田中雅一さん

理でなく情での「口説き」を
たなか・まさかず 京都大人文科学研究所教授。1955年和歌山県生まれ。ロンドン大経済政治学院博士課程修了。専門は南アジア研究。国立民族学博物館を経て88年、同研究所へ。著書「供儀(きょうぎ)世界の変貌(へんぼう)」、編著「フェティシズム研究」全3巻など。性文化や暴力にも研究を広げる。

 誘惑というと、色仕掛けで堕落させたり、欲望をかき立てて誘い込む、というイメージかもしれません。誘惑された人は理性を失って、「われを忘れる」とも言われる。でも、理性や自立性をなくすのは信仰や恋愛でも同じ。一概に否定すべきことではないのです。

 政治家と有権者の関係も、誘惑という視点でみてみましょう。われわれは、政治家の主張や政策を比べ、自分や社会のために合理的に判断して選択していると考えます。でもそれは一面にすぎない。

 政治家が「あなたたちのことをこんなに考えています。だからこうします」と訴えるのは、「あなたが好き。幸せにするよ」という口説き文句にも通じる。潔癖な政治家なら論理で説く、というわけでもない。人と人の付き合いは理性だけでは動かず、政治もそう。情緒でこそ人は動くということを、多くの政治家は実感しているはずです。

する側、される側

 近代政治は、こういったあいまいさを排除しようとする形で生まれました。18世紀以降の「啓蒙(けいもう)主義」は理性による思考を説いた。でも政治が生活に根ざしている以上、人間は、頭がいい人でなく、自分を理解してくれる人を頼り、親近感を感じる人を支持します。

 人を誘惑するには、外見や人柄、力強さや経済力などの要素があるが、見逃せないのは身体性です。声やまなざし、しぐさ、全身の雰囲気。理屈で説明できないが、好き嫌いのもとになる。あるいは、何を話すかより、どう話すか。私たちは、書かれた政策で理性的に判断しようとする半面、為政者がどんな人間かを知りたい欲求がある。だから、政治家は直接語りかけようとするし、そこに聴衆が集まる。

 誘惑する側、される側の関係も面白い。誘惑される行為は、常に受け身ではなく、能動的なプロセスを含む。誘惑というのは「あなたも行動を起こしなさい」という働きかけで、政治の場合「イエス」なら票を投じ、強い「イエス」なら支援に加わる、というポジティブな反応が求められる。誘惑されたら、相手の言うがまま、ではない。

 誘惑を成功させるには自分のスキル(技)を磨き、相手に気に入られるように振る舞うこと。どちらかに偏り過ぎても駄目。望ましいのは、理詰めで口説くより、何となく応援したくなる、と思わせることです。

 誘惑の技術は、謝罪する場面でも役立ちます。丁寧さや誠意ということより、他者が「よし分かった」とか「これ以上責めるなら、おれが守ってやる」と思ってくれるかどうか。同じ言葉で謝っても反発を買う人は、誘惑するのも上手でない。

他人の力を引き出す

 (衆院議員の)鈴木宗男さんなんて疑惑で起訴され、落選した後も、再びはい上がってきた。安倍晋三、福田康夫の元、前首相や、理論先行型の政治家に欠けるところです。スマートだけれど、マニフェストに頼り過ぎるきらいがある。

 実際、釈明や謝罪の時に書面では済まない。謝る時にこそ、人間の強さが出る。人に揉(も)まれ、泥をかぶった経験が生きてくる。結局は、人の魅力は何なのか、に行き着くが、そういう意味で政治家は非常に難しい職業といえるでしょう。

 どろどろした政治に戻れというのでなく、理想を掲げながらも矛盾や権謀術数を乗り越える力が大切ということ。それには、流れをつかみ、ノリを大事にする才能やユーモアが欠かせない。

 民主社会ではリーダーは常に主導的である必要はない。時に受け身になり、隙(すき)を見せ、他人の力をうまく引き出す力。閉塞(へいそく)感が強い時代だからこそ政治家に望みたい資質です。

私が望む3つの資質

◆応援したいと思わせる度量
◆ノリを大事にする気持ち
◆ユーモアによる自己表現力

【2009.06.12掲載】