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(1)輿論なき世論 メディア史家 佐藤卓己さん

「多数意見に従う」は無責任
さとう・たくみ 京都大大学院教育学研究科准教授。1960年生まれ。京都大大学院博士課程修了。専門はメディア史、大衆文化論。同志社大助教授などを経て2004年から現職。著書に「『キング』の時代」(サントリー学芸賞)「輿論と世論」「テレビ的教養」など。

 私たちは、世論(せろん)に基づく政治こそ民主主義だ、と学校で教わります。また、世論調査の結果こそ「民意」だと思いがちです。だから、内閣支持率は時に政権の命運を左右する。でも、そんな世論調査至上主義が民主的な政治の姿でしょうか。

 もともと「世論」というのは、世間にある雰囲気という意味でした。理性的に議論されて作られる意見は「輿論(よろん)」といった。公的な責任ある言論を指し、両者は戦前まである程度は使い分けられていた。それが戦後、当用漢字から「輿」の字が外され、世論と書いてヨロンとも読むようになった。だから今の『世論』の中身はあいまいです。

熟慮なく判断

 多くの世論調査は、電話での質問にイエスかノーか、支持か不支持かなどを短時間で答える方式です。熟慮して判断するというより、大抵の人は、世間の多数意見をかぎ取り、自分を合わせるか否か、で決める。質問方法で回答が誘導される場合もある。そんな無責任な空気が集まった「世論」に基づく政治は、本来の「輿論」に基づく民主政治という理念を揺るがせているだけです。

 世論操作というとナチスのプロパガンダ、スターリンの言論統制を思い浮かべるが、1920年代以降、英米の世論調査も同じ機能を果たした。わが国でも第1次世界大戦後、ラジオの登場や全国紙の普及で、政治過程がスピードアップする。じっくり政策を討議して合意するより、手っ取り早く「民意」を作ることが必要になった。

 「科学的な」世論調査の開始は米ギャラップ社設立の1935年。大恐慌から抜け出すためのニューディール政策が議会で抵抗にあったルーズベルト大統領は、「民意」を後ろ盾にするため、世論調査をその道具として活用した。その発展の経緯を見ても、世論調査は決して議会制民主政治のために生み出されたものではないのです。

 ただ、人々の感情は政治を決める重要なファクターなので、政治家が把握しておくのは不可欠でしょう。輿論は理性的な意見、世論は情緒的な気分だが、両者は別々に存在するわけでもない。多くの人は感情をきっかけに考えをまとめていく。問題は、政治家自身の信念や議論してきた意見と、「世論」が食い違った時の判断です。

風向きでしか

 「世論」追従の政治の最大の欠点は、責任の所在があいまいになることです。誰の主張か知らないが多数意見だから従おう、というのは没主体的で、政治家のとるべき態度ではない。経験不足は明らかなのに、人気が断トツだった安倍晋三氏を首相に担ぎ出し、支持率が下がればさっと見放した一昨年の光景は象徴的でした。世論を反映した、という口実のもと、政治家もマスコミも国民も責任をとらない。

 世論調査の結果は一つの風向きでしかない。本来はそこからが政治の出番。人気がない政策でも、では支持を増やすためどうすればいいか、を考えるのに活用すべきものです。今の政治家はその数値に一喜一憂し、民意にどう乗っかるか、ばかり気にしている。

 そもそもすべての国民が責任ある意見が持てるのか、という悲観的な議論もあるが、定額給付金をめぐる世論は一考に値する。調査結果では、現金給付という即時的な私的利益より、将来の国家財政への懸念が上回った。長い時間軸で公的な政策を検討する土壌が失われた訳ではない。

 政治家も国民もまずとるべき態度は、「民意」と呼ばれるものを前に、それは輿論なのか世論なのかと悩み、見極めることです。そのために、「輿論」という言葉と意識を復活させることが必要です。そこで初めて無責任な空気に流されやすい「世論」を批判的に読むことができるでしょう。

私が望む3つの資質

◆粘り強い歴史的思考
◆人間に対する洞察力
◆組織を動かす力

【2009.06.19掲載】