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(2)下からの反発力 作家 津本陽さん

「変えるしかない」気概示せ
つもと・よう 作家。1929年生まれ。東北大卒。78年「深重の海」で直木賞、95年「夢のまた夢」で吉川英治文学賞受賞。「下天は夢か」「勝海舟 私に帰せず」「龍馬」「異形の将軍 田中角栄の生涯」など歴史小説から戦後史に光を当てた作品まで数多く執筆。

 現在の世界は、欧米列強が植民地争奪戦を繰り広げた19世紀後半から20世紀初め、幕末から明治期に似ている。軍事力で領土を得る代わりに、食料と水、天然資源を経済力で奪い合う「静かな戦争」が始まっている。中国、ロシアといった新興国、海の向こうにひしめく「現代の列強」とどう渡り合うか、特に外交面で政治家の視野が問われている。

 幕末の日本では、西郷隆盛、大久保利通といった志士たちが明治維新を成し遂げ、小国の日本を列強に対抗できる国にしていった。重要なのは彼らが皆、身分の低い下級武士だった点だ。

「上士」では限界

 土佐藩の場合、坂本龍馬ら志士として活躍する人材は「郷士」と呼ばれる最下級の武士だった。藩に取り立てられ、能力を発揮する可能性がほとんど無い。既存の身分社会を根本的に変えない限り、一生浮かび上がれない立場だ。

 彼らはだからこそ、現状に強く反発し、「変えるしかない」という気概を持って変革に命をかけた。上士(上級武士)から殴られても土下座するしかない。そんな抑圧の中でバイタリティーが養われ、人を動かす駆け引きや人情も知っていく。

 一方、上士からは人材が出なかった。新しい知識を得たり、見聞を広めようともしない。三百石以上の禄をはみ、屋敷に住み、めかけを囲う。世襲議員が問題になっているが、党利党略や私欲を捨てられない現代の政治家は上士に近い。

 幕末は、薩摩、長州、土佐といった西国の雄藩に限らず、各藩から人材が出た。例えば(大正、昭和初期に大蔵大臣、首相として活躍した)高橋是清。彼は仙台藩の足軽の子にすぎなかったが、機知に優れ、藩で数人しか枠のなかった米国留学を勝ち取った。3年間、富豪の給仕として働くなど、苦労して英語と米国社会を学んでいる。

 高橋が歴史の表舞台に立つのは、日露戦争時の軍資金調達。当初、欧米の銀行や資産家は小国・日本の戦時外債など誰も買わなかった。当時日銀副総裁だった高橋は、英国でパーティーに片っ端から出て、実地で磨いた英語で日本の話をしまくった。そうした必死の行動で最初の出資者をつかみ、最終的には莫大(ばくだい)な戦費を調達する。

 こうした機知は学問では育たない。そういう意味で、リーダーが国難に対処できなかったのは太平洋戦争。軍の首脳たちは、食料も弾薬も戦場に届かない補給軽視の作戦を行い、失敗した。士官学校の机上演習で、自分たちの思い通りに駒を動かし、兵隊にむちゃを強いて勝つような学習ばかりしていたからだ。

広い視野持って

 バイタリティーと機知を兼ね備えた政治家は戦後にもいた。田中角栄だ。彼は新潟県の寒村で育ったが、虐げられた者の利害を代弁するだけではなかった。原油価格高騰で経済が混乱しないよう、当時のソ連や中東とも独自の資源外交を展開するなど、田中には日本全体をどうするかという、大衆を引きつける大局観があった。米国を敵に回したが、今の政治家にそうした視点があるだろうか。

 日本を根本的に変える政治家が今出てくるか?と問われたら、私は「難しい」と答える。現在の日本はまだ、経済的にゆとりがある。幕末の志士たちが「変えるしかない」と感じたような、能力や努力が全く通じない絶望的な社会ではない。

 ただ、日本社会は日々悪くなっている。私は東京と故郷の和歌山市を往復して暮らしているが、東京一極集中の中で地方の疲弊は明らか。商店街は平日か休日か分からないほどさびれている。自殺者も年間3万人を超えている。

 安倍政権以後、首相が次々代わったが、自分の人気を気にし過ぎる。常にスポットライトが当たっていないと気が済まないようだ。今、必要なのは、50年後、100年後の日本に何が必要かという大局観。小選挙区制の中で政治家はますます小さな利害の中で動いているが、有権者はどれだけ広い視野を持っているかで政治家を選ぶべきだ。

私が望む3つの資質

◆実体験で磨いた機知
◆はい上がるバイタリティー
◆大衆引きつける大局観

【2009.07.24掲載】