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(4)公人の自覚 フランス文学者 内田樹さん

度量と見識ある調停役に
うちだ・たつる 1950年東京都生まれ。東京大卒。東京都立大助手などを経て現職。専門のフランス現代思想のほか武道論や映画論、幅広い社会評論で注目を集める。著書に「ためらいの倫理学」「下流志向」「私家版・ユダヤ文化論」(小林秀雄賞)など多数。

 日本の社会にはリーダーシップなど必要ない。私はそう思います。

 リーダーとは、確固たるビジョンを持つだけでなく、国や集団の利益が内面化され、自己の信念に合致していなければならない。イギリスや多くの西洋諸国ではそういうリーダーシップが涵養(かんよう)されてきた。それには明確な国家理念や将来像があることが前提です。

 日本にはそもそも合意された国家像がない。だから真のリーダーが育ちようがない。政治家を見ても、ローカルな利益、業界や省庁の利益を代表する人がほとんど。どちらかといえばエージェント(代理人)。あるいは皆の意見を聞き、利害を調整するタイプしか見当たらない。

単純な解決策は欺瞞

 とはいえ、必ずしもそれが悪いこと、劣っていることではない。日本の社会はリーダー不在でも機能するシステムを作り上げた。だから首相が次々と政権を放り出しても特段の支障が出ない。ならばこのシステムをさらに磨き上げ、成熟させる方がよほど現実的です。

 大切なのは複雑な利害関係をいかに調整していくか。最近の主要政治家は調整型の人材が減り、「郵政選挙」で圧勝した成功例にならおうと、シンプルな物言いで一点突破型の政治家が増えた。交渉が不得手でもメディアの顔色を見るのが得意だったり、実現性はともかく目標を自信満々に示す人がもてはやされる。もごもごと言葉を濁しながら、厳しい対立を乗り越えて歩み寄りを目指す政治家は人気がない。

 ハッキリ物を言うのが優れた政治家かというとそうではない。政治も外交も極めて複雑なものなのに、あたかも単純な解決策があると言うのは欺瞞(ぎまん)にすぎない。

 今の日本は、「不具合が目立ってきたシステムをどう変えるか」に議論が偏っているが、システムというのは単純な原因で不調になるものではない。必ず複合的な要因が絡む。年金問題でも官僚の不祥事や天下り問題でも同じ。なのに、ある部分の責任をことさら非難したり、「官をつぶせ」などと対決の図式に持ち込む。被害評価をきちんとせず、何でも「抜本改革」に乗り出すのはコストパフォーマンスも悪いし、危険でさえある。

同じ指標に頼るな

 有権者も安易な判断基準を求め過ぎです。どの政治家が優れているか、なんて簡単に見極められるものではない。一人一人が考えるしかないし、できるだけ判断基準はばらけた方がいい。皆が同じ指標に頼ろうとするから、マニフェスト(政権公約)に分かりやすく書き込め、となる。でも衆院解散直前に急ごしらえしたような「約束」が信じられますか。

 僕は基本的に顔とか話し方で決めています。人の話をよく聞き、自説に固執しなさそうな人。対立意見も排除せず、「公人」としてフェアに振る舞える人かどうか。

 特に、一国の首相というのは、選挙中は党の政策を主張しても、首相に就けば国民すべてを代表する立場になる。所属政党の綱領の代弁ばかりするのは許されない。国益のためには、自らの思想や党の主張と食い違う行動を選択することも迫られる。とても苦い仕事です。絶えず葛藤(かっとう)し、それは顔に現れる。苦虫をかみつぶしたような顔でいいんです。オバマ米大統領も、笑顔で理想を語る一方で、最近は厳しい顔も多いでしょう。

 政治家にはタフさと成熟が何より必要です。相手と主張の隔たりが大きい時も、決裂せず落としどころに持ち込むには、相手の真意を読む力、自信と柔軟さがいる。利害が複雑に絡む状況で調停役を果たすときも一緒。その技術は一朝一夕には得られない。誰かからの借り物でなく、自ら築き上げてきた信念や、苦渋しながら合意形成してきた経験が求められる。

 日本には理念がないと言いましたが、あえて言えば、憲法9条に基づく平和主義でしょう。東アジアや中東の厳しい摩擦の間に立ち、もごもご言いながら緩衝材になり、調停役を果たせばいい。それには相応の度量や見識が必要ですが、リーダーシップは必ずしも重要ではありませんから。

私が望む3つの資質

◆人の話を聞く
◆話を簡単にしない
◆フェアネスに配慮する

【2009.08.07掲載】