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みんぱくに出会った千家十職

(2)竹細工・柄杓師 十三代黒田正玄さん(72)
細かい縦じわの入ったシボ竹は裏庭で丹精込めて育てたもの。「竹の生地の美しさを見ていただければ」と黒田さんは笑顔を見せる(京都市上京区)
 表面の細かい縦じわが、柔らかな光を照り返し、微妙な表情を作る。シボ竹で作った矢筒花入(やづつはないれ)。節間三つ分、七十センチほどもある花入を手に「アフリカのサンの人々の矢筒から花生けを連想しました。原寸通り作ってみたいと思って。随分長いでしょ」と笑顔を見せる。茶席で、面白がられる様子も思い浮かべる。
 もともと民族学には興味があった。東南アジアやアフリカには竹林も多く、竹を素材とした民具も多い。国立民族学博物館の収蔵庫を訪れた際も、「(日本にあるものと)同じような雑器がたくさんある。日常生活に身近な素材」とあらためて感じた。「特にタイのものが目についた。向こうの竹は柔らかい。うけやざる、かごなどは作りやすいでしょう」と素材の特性にも思いを至らせる。

日常の素材を茶席の道具に アフリカの矢筒連想 細かい縦じわが微妙な表情

新作の「竹火打石入花入」。「右の白い竹には花を生け、左の竹は表面の景色を見て、花の美しさと竹の美しさを相互に楽しんでもらえれば」と話す
 「竹で制作し、茶席で使える道具」。イメージの根底には、常に竹細工師としての強い思いがある。関心を引くものがあれば、すべて資料をコピーした。その上で選んだのは、竹を素材とした弦楽器や火打石(ひうちいし)入れ。塩や蜂蜜(はちみつ)を入れた木製容器にも心ひかれた。使い込まれた道具に風情を感じた。
 日本の竹工芸の美しさは、つやに凝縮されるのかもしれない。
 竹林から竹を切り出すのは、毎年十一月ごろという。竹の中の水分が最も少ない時期だからだ。厳選した竹を寒の時期、炭火であぶる。時間をかけて丁寧に。油が抜け、緑の竹が白くなる。さらに四、五年乾燥させる。そうして「年月をかけると光沢が増す。材料の美しさが際立ってくるのです」。

放置される竹林を嘆く

黒田さんに花入をイメージさせたフィリピンの火打石入れ(国立民族学博物館蔵)
 大学卒業後から本格的に家業に就き、一九六六年に十三代を継承した。材料の真竹は、以前は京都市近郊で手に入れられたが、宅地開発に伴い、良質の竹林がいくつも姿を消した。一方、需要の減少で手入れの行き届かない放置竹林が増えた。
 かつて真竹は、切り出せば何かに使えた。最も需要が多いのが住宅の壁下地。「それが今は茶室ぐらい。必要なものしか選(よ)り切りしないため、放置竹林が広がる」と嘆く。
 今回、矢筒花入に使ったシボ竹は、自宅の裏庭で四十年ほど前から大切に育てたもの。真竹の突然変異種で、数が限られている。もともとは大原野神社(京都市西京区)近くの竹林に生えていたが一九六五年前後、京都府内の真竹林が一斉に開花したとき、一時枯れた。数年して再生竹が育ってきたとき、小指ほどの竹を譲り受け、保存のために育てるようにしたのだ。
 「竹細工は素材の良さが一番ですから」。何百年にもわたる、ものづくりの原点を見つめる。

【2009年3月19日掲載】
 黒田家 初代は丹羽家の家臣だったが関ケ原の戦い後、出家し大津で竹細工師となった。のち京に転居、小堀遠州に茶の湯を学び、柄杓(ひしゃく)作りの腕を認められ、将軍家御用柄杓師に。千家とのかかわりは三代、表千家六代覚々斎の時代から。台子や香合、花入なども手がける。