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みんぱくに出会った千家十職

(4)土風炉・焼物師 十七代永樂善五郎さん(65)
新作の青交趾水指。釉薬の溜まり加減など、試行錯誤を重ね、4点制作したうちの1つ
 シンプルにかたどられたグアテマラの素焼きの土器。口の下あたりを一周するひも状の膨らみが気になった。「理屈じゃなく興味を持った。ものすごくたくさんのものがある中で『興味あるものを見つけて作れ』ということやったが、これやったら水指にしたらと」

なぜ民博か

細い筆を手に絵付けをする永樂さん。「民博の作品は、絵を描くのには向かないと思った」と語る(京都市東山区)
 国立民族学博物館(大阪府吹田市)の収蔵品から着想を得て新作を−との特別展には、当初反対だった。
 「茶碗にしろ、建水にしろ、もともとお茶の道具は、全部見立ての道具。僕がやってるのも先祖がやってるのも基本は同じ。なぜ今わざわざ民博で、何かを見て作らなあかんのか」。疑問は募り、「今、ものを作っている者が、利休さんの時代に帰って見立ての道具を作るというのは違うんやないか」と感じた。
 話を聞き、受け入れはしたが、最初は「民博を全部見てから」とは思っていなかった。収蔵庫は七つある。朝から夕方までいて、一日に見られるのは二部屋だ。大変な労力がいる。でも、「一日行ってみると興味が出てきて、夏休みの宿題みたいな感じになった」。都合四日間通った。
 収蔵庫は、まったくの過去の遺物が並ぶだけではない。少し前まで現地で使われていたものも隣り合わせにある。混とんとした世界が広がっていた。「『かつてのものをヒントに』と思ったが、何でもあるが何にもない。そこからどないしてヒントにして、何を作るか」。悩んだ結果、行き着くところは、やはり茶道具だった。

素朴な道具に美

永樂さんの作品のヒントになったグアテマラの土器(国立民族学博物館蔵)
 素朴な民族資料からイメージされるもの。華やかな絵付けは向かない。以前から取り組んでいた釉薬(ゆうやく)を溜(た)める手法で制作した。
 一つ一つ手びねりの水指は、外側に波のような溝を刻んだ。溝の角をさし、「ここが立たなあかん。削り出して、稜線(りょうせん)を際立たせて」。普通にかくなら、右から左へノの字を書くようにする。でも思ったようには溜まらなかった。二つ目から、左から右へと溝をひいた。
 釉薬をかけ、溜まったところを薬が流れるくらいに焼く。「濃いとこと薄いとこのバランスで装飾を見せる。緑や浅葱(あさぎ)などは溜まったとこと溜まってないとこの違いがつけやすい」。手順を重ね、生まれた四つの「青交趾(あおこうち)水指」は少しずつ表情が違う。でも、どれも力強く、それでいて華麗な永樂焼だ。
 「向こうに行くと、いろんなものの元の形、こういうものがあるんやな、と気づかされた」。仮面や笛、呪術(じゅじゅつ)関連の道具。一見してお茶の道具とは関係ないものにも、素朴な美を認める。
【2009年4月2日掲載】
 永樂家 西村姓を名乗り、奈良・春日神社の斎器を制作していたが、初代宗禅が武野紹鴎の指導で土風炉(どぶろ)師に。三代宗全から京都に定着、千家とのかかわりは四代宗雲の時代とされる。十代了全は、表千家八代〓啄斎、九代了々斎の意向で陶器も作り始めた。十一代保全が華麗な永樂焼を確立し、一八二七年に紀州藩主徳川治宝から「河濱(かひん)支流」の金印と「永樂」の銀印を拝領、十二代和全が永樂姓に改姓した。

注)〓啄斎の〓は口ヘンに卒と「啄」の七、八画目のところに「ヽ」のあるもの