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みんぱくに出会った千家十職

(8)塗師 十三代中村宗哲さん(43)
「民博の収蔵庫には、ヒントになるものがいっぱい。例えばタイル。国によって図柄が違い、作りきれない。世界に目を向けてものづくりをするのも楽しい」と話す中村宗哲さん(京都市上京区)
 小さなまりの表面が、鮮やかな原色の幾何学文様で彩られたグアテマラの「ハッキーサック」。リフティングのように、蹴(け)って楽しむ遊び道具だ。国立民族学博物館(大阪府吹田市)のミュージアムショップでふと目にとまった。「母が作り置いた丸い茶器がある。関連して作れたら」
 かねて民族衣装にも興味があった。マヤに由来するデザイン性の高い文様を漆の茶器に盛り込みたい。赤や青の鮮やかな色使いも。それが「マヤ幾何学文丸茶器」になった。
 タイル文様の美しさにもひかれた。イランやモロッコ、トルコなど、国によって独特のタイルがあり、どれもおもしろい。「タイルを壁に飾りたい」。額縁のように見える四方盆に絵を入れて「ペルシアタイル文青漆(せいしつ)四方盆」に。やさしい草花のタイルは「花文白丸香合」を作らせた。
 収蔵庫を訪れて思った。「そこらじゅうヒントになるものがある。眠らせておくのはもったいない」。バリやシリア、ヨルダンなど、母と訪れた思い出もよぎる。「母がいたら多分、一番喜んで参加していたかなあ」

心ひかれた独特な文様の美

「世界の民族的なデザインは母も大好きでした」と思いを重ねて形にした「マヤ幾何学文丸茶器」
 高校で漆芸を学び、卒業後、母・先代宗哲さんの下で仕事を始めた。三人姉妹の次女。みな高校は漆芸を学んだが、姉は彫刻に、妹は陶芸に道を定めた。
 「私は母が代を継ぐ時だったので、家の漆を学ぼうと。先々代も隠居したばかりで、二人から見聞きできた。なでたりさすったりの細かい仕事が性にあっていた」と振り返る。
 仕事場と住まいが同じで、家族全員が仕事に携わる環境に育った。「継ぎなさい」とは一切言われなかった。しかし、二〇〇五年秋に母が急逝、翌年、十三代を継承する。手伝う立場と自分が采配(さいはい)するのとは「責任が天と地ほどに違う」。自分で段取りし、一人で仕事をこなす大変さも思い知った。
 「母がいるときは、本名でお茶から離れた自由な仕事もできた。代を継ぎ、自分の思いも込めながらきちんとしたお茶道具を作る難しさ。一つずつ、昔からの資料を確かめて仕事をさせていただいてます」。調べると周りのいろんなことも見える。形を受け継ぐお茶道具にも、時代によって流行(はやり)があることもあらためて感じた。

グアテマラの小さなまり 鮮やか色づかい茶器に盛り

中村さんのイメージを刺激したグアテマラのハッキーサック
「漆の仕事は建築と同じ」という。土台がしっかりしていないと、うまくいかない。きちんとした図面をひき、下仕事をする。へらで下地漆を塗るのは壁塗りと同じ。きれいに砥石(といし)でといて形を整えないと傷にもなる。はけで塗るのは一回だ。
 それだけに、作品が一つできることは「子どもを育てているようなもの」。手放したくない気にもなる。「棗(なつめ)に仕服をつけて、大事に使っていただいたり、先祖のものがきれいに残っている様子をみると、うれしくて」
 一人娘は幼稚園の年長になった。「小さいなりに、ものづくりへの興味があるようで。ブロックで遊んだときには『炉縁(ろぶち)ができたよ』なんて。後に伝えることを考えると、家の仕事を見せるのが一番だと感じます」。母の笑顔がひときわ優しい。
【2009年5月14日掲載】
 中村家 遠祖は豊臣方の元武将。塗師(ぬし)・吉文字屋に養子に入っていた千宗旦(利休の孫)の次男・甚右衛門が千家に復する際、隣家の中村八兵衛に家業を譲ったのが始まり。以来、千家の茶道具を制作するとともに、御所御用も務めた。三代は表千家六代覚々斎、七代如心斎の信を得て、茶の湯の稽古(けいこ)法「七事式」制定にも参画した。先代は、女性として初めて千家十職の当主となった。