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(2)今様京都 そば・うどん対決

京はうどん派?そば派?
女性誌の京都特集では、そば店よりうどん店が取り上げられている
 江戸落語で有名な「時そば」は、時を告げる鐘を利用してそばの勘定をごまかす話である。この元となったのは、上方落語の「時うどん」なのである。屋台のうどんが、江戸へ行くとそばになる。確かに、関西、いや、京都はそばよりうどんのイメージが強いようだ。雑誌の京都観光特集にも、「お昼ご飯はおうどん」という言葉が躍る。
 しかし、京都には河道屋や尾張屋といった老舗のそば屋もあり、麺(めん)類の代表がうどんというわけでは決してない。近年は新しいそば屋も増えた。一体、京都ではそばとうどんのどちらがポピュラーなのか。

寺はそば

京都の人はそばの食感より、だしを好む? さてあなたは?(京都市上京区=撮影・吉田清貴)
 まず、そばに関して前から気になっていた京都市東山区の法住寺を訪ねることにした。ここには「親鸞聖人そば喰いの像」なるお像が祭られているのだ。このお像は、比叡山での修行の最中、ひっそりと下山して六角堂に参籠(さんろう)していた親鸞の身代わりをつとめたという。親鸞が帰ってみると、代わりにそばを食べてくれていたらしく、お像の口の端にそばがついていた、というのが名前の由来だ。
 「このそばは今のような麺状でなく、そばがきでしょう」と、住職の赤松隆成さん(61)は語る。切りそばが生まれたのは江戸時代で、それまではそば粉を加工して食べていたのだ。江戸の随筆「嬉笑遊覧(きしょうゆうらん)」によれば、そば屋は菓子屋がそば粉を切りそばにして店先で売ったのが始まりだという。京都の老舗そば屋ももとは菓子屋だった。
 ところが同時代の「守貞漫稿(もりさだまんこう)」には、「京大坂は、そばとうどんを両方商う店をうどん屋と号す」とある。うどん屋というと、私が思い出すのは天ぷらそばもきつねうどんもどんぶりもあり、電話一本で気楽に出前に応じてくれる店である。軽い昼食として麺類は重宝したものだ。

だしを尊び味を重視

「そば屋で酒や料理を楽しんでほしい」と話す沼田さん(右)の話を聞く田中教授(京都市上京区)
 「店を開いた当時は、出前してくれといわれて困りました」と話すのは、五年前に西陣の町家でそば屋を始めた「にこら」の沼田宏一さん(45)=上京区=。そば屋で酒や料理を楽しむ習慣を京都にも広めたいと店を構えたが、当初はそうした習慣になじみのない近所の人々から出前の要望が相次いだそうだ。中部地方ではそばは一般的だが、最も多い食べ方はざるという。しかし、京都では夏でもざるより暖かい汁そばが人気だった。しっかりおつゆを飲み干した客は「ええおだしですなあ」と言い、手打ちのそばはいっこうに褒めない。京都ではそばのしこしこ感よりも、だしを尊ぶということが分かる挿話である。
 「にこら」は東京などの遠方からの客がかなりの数を占める。しばしば立ち寄る編集者の男性(48)=東京都=は「京都のそば屋というより、うまいそばだから通う」と味重視。京都ブームも、京都の新しいそば屋の台頭を支えているようだ。京の味として定着したそばとうどんだが、食文化の多様性への期待を込めてそばに軍配を上げるとしよう。
(甲南大教授)

貴子のここも注目!・寺はそば

「親鸞聖人そば喰いの像」
 赤松住職によれば、今でも天台座主の晋山式には必ずそば(これは切りそば)がふるまわれるそうだ。寺院はうどんよりそばの文化なのだろうか。「お坊さんはおそばが好きなんでしょうか」とたずねる私に、「着替えずに食事するのにそば屋はいいんですよ。僧衣姿で牛丼屋に入るわけにはいきませんからね」という答えが返ってきた。たしかに。
メモ
 【法住寺】 989(永祚(えいそ)元)年に藤原為光が創建。その後、後白河法皇が院御所に定め、法王の御陵を守る寺となった。創建当初から安置されている身代わり不動明王像が本尊。「サザエさん」の作者、長谷川町子さんの菩提寺でもある。市バス「博物館三十三間堂前」下車徒歩3分。

【2008年11月20日掲載】

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