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(2)いかに生きるか 上田正昭さん

死者の魂を受け継ぐことが大切
朝は世界の平和を祈り、就寝前は一日の無事を感謝する。「感謝を意味する『おかげさま』は『おかげまいり』など日本の信仰に通じる言葉」と上田さん(亀岡市曽我部町)

 死を初めて意識したのは父の死です。1940年3月、急に高熱が出て、1週間後、急性肺炎で亡くなりました。当時はペニシリンといった薬もなく、父は僕の中学合格発表を楽しみにしていたのですが、間に合わなかった。人は普段、死のことをあまり考えません。でもこの時、死は避けることができないことを痛感しました。父から「死があるからこそ命の大切さがわかる。死を見つめて生きることが大事」と教えられました。

<西陣の織屋に生まれた上田さんは父の死の2年後、15歳で亀岡市の延喜式内社・小幡神社の社家を継承した。神職の資格を取るため、44年に東京・国学院大に入学するが学徒動員に。石川島造船所で働いていた時、東京大空襲に遭った>
 僕は田園調布の下宿にいて無事でしたが、造船所内の寮にいた友人4人が亡くなりました。焼け野原の街で友人を捜しました。焼け焦げた死体のにおい。うごめく瀕死(ひんし)の人。言葉にできない痛ましい現実でした。友人は見つかりお葬式ができました。その時も死は生につながっていることを実感しました。

<「あの世に送る」とイメージしがちなお葬式。だが上田さんは古事記や日本書紀の神話を例に「弔い」の本来の意味に注目する>
 日本には天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)などの「死なない神」と、伊邪那美命(いざなみのみこと)など「死ぬ神」がいて、古代から生死を切り離さない考えが持たれてきました。伊勢神宮の「式年遷宮」は20年ごとに神殿が建て替えられ、ご神霊を新宮へ遷(うつ)します。これは「神も生まれ変わる」という信仰の反映です。

 弔うとは、死者をあの世に送り生と死を断絶することではありません。死者をまつることによって、生きている者がその霊魂を受け継ぐことが大切です。「鎮魂」という言葉は魂を鎮めるイメージを持たれがちですが、日本書紀などでは「ミタマフリ」と読ませ、文字のごとく魂を奮い立たせる意味をさす。死者に「安らかに眠ってください」と言うのではなく、死者の魂を継承し、人々の誤った行動を問いただすためにも「安らかに眠らないでください」と願うことにしています。

<上田さん自身も2度、自らの死を意識した。最初は腹部に鈍痛を感じた2003年。友人の司馬遼太郎さんの死因と同じ、腹部大動脈瘤(りゅう)だった>
 医者嫌いの司馬さんは病気がわかった時はすでに手遅れでした。僕も「破裂したら死ぬかもしれない」と思い、手術の前夜は眠れず強い睡眠薬をもらいました。手術後は生活スタイルを改め、徹夜で原稿を書いていたのを、午前5時に起きて夜は9時に寝るように。たばこもやめました。

 昨年10月に膀胱(ぼうこう)がんが見つかったことも大きかった。幸いにも治癒しましたが「生あるうちに自分の仕事を残しておきたい」と考えるようになりました。「雨森芳洲」「古代国家と東アジア」など立て続けに本を出版しているのも、このためです。この年になってもね、研究していると、ぱーっとひらめく。それが何よりもうれしい。研究したいことが次から次へとあり、今は「古代史」3部作を執筆しています。これが最後の仕事になるかもしれません。

<遺言などの準備はしていないという>
 死ぬのは怖い。でもいかに生きるか、を重視したい。続日本紀では、過去と未来の間を「中今(なかいま)」と呼び、古事記の「国生み」神話では、「共生」を「ともうみ」と読ませています。それにならい「中今で新しいものを共に生み出すこと」を大事にしたい。私が死んだら、私の志を多くの教え子たちに受け継いでもらい、研究成果を発展的に継承してほしいですね。

うえだ・まさあき

 1927年、兵庫県生まれ。京都大名誉教授。世界人権問題研究センター理事長、高麗美術館長。専門は古代日本・東アジア史。

【2011年7月8日掲載】