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(3)おひとりさま 上野千鶴子さん

最後まで混乱、それでいいじゃない
「80歳の人の気持ちは分からないです。80の人はもっと死を考えることが多いと思います」と話す上野さん(講演先の静岡市)

 遺言は年1回くらいのペースで書き換えています。散骨してほしいと書いてあります。資産の処分については、私がやっているさまざまな活動とかNPOに。遺言執行人も指名しています。

<上野千鶴子さんの著書「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」の帯のコピーには、「これで安心して死ねるかしら」「在宅ひとり死はこわくない」と、あえて「死」を盛り込んだ>
 みんな見ないふりしてきたから。今度、3部作の締めくくりで「おひとりさまの最期」を書くつもりです。死のシミュレーションをしておけば「ああ、そうか」って予期できる。予期できたら「やっぱり」っていうだけのことです。

<近年は、高齢者の介護に関する研究に力を注ぎ、「在宅ひとり死は可能か」と追究する>
 周りに支えてくれる方たちがいれば「ひとり死」と呼ぶだけで、「孤独死」と呼ばなくてもいい。次の3点セットがあれば、単身でも在宅で死んでいけます。

 まず、24時間巡回の訪問介護。最末期に暮らしを支えるのは介護力です。短期でもいいから夜間も含めて、巡回で介護を入れることができたら、病院にかつぎこまなくてもすむ。次に24時間対応の訪問医療。主役は、実は医者よりも看護師です。24時間対応の訪問看護があれば、相当のことができます。

 でも、それだけでは十分ではない。その人の暮らし、お金、家族関係、葬式、遺言の執行も全部含めて「トータル・ライフ・マネージメント」と呼び、専門家たちがオーダーメードでその方を死まで支えるしくみがほしい。ただし、チームで情報を共有して相互監視をしてもらいます。ユーザーとしての悲願です。

<介護の現場を調査する中で「人は最後まで変わる」と思い至った>
 早く死なせてくれっていう最末期の患者が、次の日はリハビリをやりたいと言う。私は人さまの死に方とか老い方に関わりを持つ研究をやってきたおかげで、「一貫性のある生き方とか潔い死なんか、なんぼのもんじゃ」と、だんだん思えるようになりました。人は最後まで変わる生き物で、矛盾もしますし混乱もします。それでいいじゃないかって思えたのが、この研究の私自身に対する成果です。

<昨年出版したエッセー集「ひとりの午後に」には死者にまつわるエピソードが多い>
 還暦を過ぎてますから、思い出の中には死者がたくさん登場します。親をみとれば、次はいよいよ自分だと思いますよね。それと、同世代が死に始めておりますので。自分より上の世代が亡くなるお葬式と、同世代のお葬式に出るのとでは気分が全然違います。

 お葬式は、自分に対するけじめですね。もはやこの先その人と会うことも、記憶をともにすることもない。「お別れ」を納得したい。儀式は死者のためではなく生きている人のためにある。

 長生きすることのつらさは、自分の身近な人たちがどんどん亡くなって、記憶を共有する人々がいなくなること。他の誰かで埋め合わせることはできません。配偶者なら決定的な打撃を受けるでしょう。自分の中の記憶ごと、死者がもぎ取っていく。そのことが以前より分かるようになりました。

 若い読者から「上野さんの死にざまを見届けたい」って言われたの。もの書きは怖いですね。私はジタバタするかもしれないし、混乱するかもしれないし、言ってることがころりと変わるかもしれない。しっかり見届けていただきましょう。

うえの・ちづこ

 1948年富山県生まれ。京都大大学院修了。社会学者。専門は女性学、ジェンダー研究。NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク(WAN)」理事長。

【2011年7月15日掲載】