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(4)医師として 早川一光さん

心を忘れた医療、最後に正したい
玄関脇に据えられた道祖神。「これが僕らの墓石」。早川さんと妻ゆきさんは笑顔を見せる(京都市右京区の自宅)

 ひとさまに「死とはこういうものよ」「お葬式とはこうよ」と言ってきたけれど、僕自身の耳がだんだん遠くなり、すっと立ち上がれなくなり、置いた物を忘れるようになってきて、初めて「己が老いるとはこういうものだったか」としみじみ実感している。

<お金がない人のためにこそ医療を−と早川一光さんが医師になって60年。著書や講演を通して、よりよく生きる心得や、その先にある死を説いてきた>
 死が他人のものではなく自分のものなのだと考えて「自分はどうするんだ」と問い返してみると、実はドギマギしているんだね。人の死はたくさん見てきたけれど、いよいよ己の番かと思うと「えらいこっちゃなぁ」というのが今の心境です。

 人間っていうのは、お母さんのおなかから生まれた時から1秒でも長く生きるようにできておりますな。死に近づけば近づくほど生身の体は生きようとするので苦しいんですよ。

 僕はね、「死ぬのは怖くない」と言う人がいれば、それは元気な人、常の時だけだと思う。全然分からないところに足を踏み込んで行くのだから、いざという時はおののき恐れるものよ。それは当然。ただ、年を取れば取るほどそれがどう変わっていくのかは見ものだと思っている。僕の場合も、87歳の僕が思うことと100歳を超えた僕が思うことは違うんじゃないかなぁ。

<自分の遺体は献体に−とかねて考えてきた>
 僕の学生時代は、医療費や入院費を支払えない代わりに自分の死後は解剖に使ってくださいという方がたくさんおられた。僕はそういう方の体を使って医者になったので、僕の死後は後輩の学生の勉強に使ってほしいと家内と約束している。

 そして、僕の体を使って学ぶ学生には「誰のために医者をやるのか」を考えてほしい。先端医療に走りすぎた結果、今は心の医療が置き去りになっていると思う。僕の体を通して、医者になるにあたっての心構えを伝えていきたい。本当は僕の声を吹き込んだテープを聴きながら僕の体を解剖してほしいんだけど、そんなことがうまくいくか。分からないので、今は迷っています。申し訳ない。

<自宅には道祖神が2基ある。これを墓石にと願う>
 30年以上前に長野県で見つけたおじいさんとおばあさんの道祖神。じっと寄り添っている姿を見て、「うん! これが僕らの墓石だ」と思った。息子たちは反対しているので実現するかどうか分かりませんが…。墓石を守るのは自分じゃないからね。「墓守せえ」という権限は何もないよ。

 現代のお坊さんの活動にはふに落ちない点も多く、枕経をあげてほしい人もいないし、墓を頼みたい寺もない。医者が「治し屋」になってしまったのと同様に、僧侶も「弔い屋」になってしまったのでは。医者の「傲慢(ごうまん)」と僧侶の「怠慢」、二つの「慢」に囲まれて患者さんは困っていると思う。

<自身は90歳になってもできる医療は何かと考え続けている>
 80歳で白衣を脱ぎ、保険医の資格を辞退した。90歳になったら医師免許を返上しようと思っている。そのうえで医療をやりたい。検査や投薬などは僕のところで受けられなくても「病気の時は早川先生のところに行こうかな」という人がいればいいなと思う。それこそがホームドクター。臓物を治すのではなく、人間を、人生観を治す医療を最後まで続けたいですな。

はやかわ・かずてる

 1924年、中国・瀋陽市生まれ。堀川病院(京都市上京区)の創設から携わり、院長・理事長を務めた。2002年、自宅に「わらじ医者よろず診療所」を開設した。

【2011年7月22日掲載】