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(6)臨死体験 井上隆雄さん

「必ず死ぬ」を実感、一方で解放感も
「これまでの作品を振り返ることが、今の僕にとってのフィールドワーク」と話す井上さん。背後の仕分け箱に自然を撮影し続けてきた20年分のフィルムが詰まっている(京都市左京区)

 死は緩慢にやってくるものだと思います。人は必ず死ぬ。生まれた時から死に向かっているともいえるんじゃないですか。草木の中に身を置くとよく分かるんです。枯れたように見える木が実は生きていたり、その逆もある。自然界では生死の線引きは簡単ではない。

<自然の撮影をライフワークとする井上髣Yさんは、2009年に解離性大動脈瘤(りゅう)に肺炎などを併発して死線をさまよった。40日間意識を失い、「臨死体験」をした>
 次から次に無数の夢を見ました。何かの施設に入る僕を何人かの人が見送ってくれていた。そのうちの一人が握手を求めてきたんです。そのとき横から知り合いの宮司さんが「悪魔と握手したらダメです」とバチーンと言わはった。顔を見たら目はあるんだけど筒のような口をした変な顔。僕はばっと手を引いたんですよ。今思えば、あれがあの世との境目だったんじゃないかなという気がします。

 死んだ兄と瀬戸内海を見渡す温泉につかっていました。水面がきらきらと光ってきれいだった。神社の結婚式に参列すると、新婦は僕の元アシスタント。しかし彼女は独身のはずなんです。印鑑がなくて探していたら、壁の中に埋め込まれていた。自分でも意味は分かりません。現実と無意識が交錯していました。今でも断片をふと思いだして、夢か現(うつつ)か分からなることがあります。

<目覚めた後、心境をメモしている。「病院の壁と天井を見つめながら死にたくない。二十年も撮りためて来た作品をやり残したまま、どうしても死にたくない」>
 意識を取り戻した安堵(あんど)感と同時にわき起こったのは、生きねばならないという気持ちでした。撮影したまま手つかずのフィルムが膨大にあるんです。それを山積みにしたまま死にたくなかった。いわば自分が生きた証ですから。自分の精神世界を通して写したから、他者に依頼できるものでもない。

<30代で写真家になり、当時未知だった西チベットで単身、仏教美術や生活を撮った。海外の撮影旅行のたびに「行き倒れるかもしれない」と家族に言ってきた>
 チベットでは五千数百メートルの山地で撮影していたわけですから、事故が起きても不思議ではない。僻地(へきち)の単独行には危険も多々ありました。死ぬかもしれない覚悟はしていました。

 でも今回は、そう遠くない将来に必ず死ぬことを嫌でも実感させられた。つえなしでは歩けなくなり、今の肺機能で感染症を起こすと命取りになる。もう以前と同じようなフィールドワークはできないという事実は、すごくショックでした。夏は暑い、冬は寒いという体験があって初めて自然について語ることができるから。

<一方で、大病を得て自由になった思いもある>
 型枠にとらわれたくないという気持ちが強くなった。解放された、自由自在になったという気がします。仏教でいうと「融通無碍(ゆうづうむげ)」です。

 僕には二十数年間撮りためた何十万枚のフィルムがある。これからはそこをフィールドに、自分の精神世界と向き合って写真集を編むつもりです。絵はがきのような写真は選ばないんじゃないかな。僕にとってはそれが死への準備なんです。写真集が僕の墓標。そうして作ったものが見る人にどう伝わるか、興味がありますね。

いのうえ・たかお

井上隆雄さんのメモ
1940年滋賀県生まれ。京都市立美術大(現京都市立芸術大)卒。「チベット密教壁画」など発表多数。近年は自然界の撮影を通して日本の精神世界を探求する。
注)名前の隆は隆の生の上に一

【2011年8月5日掲載】