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(7・完)中村仁一さん 自分の死

「老いを受け入れ死ぬ」と伝えたい
「棺おけと言うと縁起が悪いなんて思われそうですが、僕は人生と向き合う時間だと思う」と話す中村仁一さん(京都市伏見区・同和園)

 高校2年の時におやじが心臓発作で亡くなった。半年ぐらい前から発作を繰り返していて、週に数回「食道がよじれる」と脂汗を流してました。毎回毎回相当な痛みや苦しみがあったと思うんですが、一度も弱音を吐かなかった。「これは自分しか引き受けることができない」。おやじはそう悟ってたんじゃないかと思う。あの姿は僕の生き方に色濃く影響している。痛みも苦しみも自分で悩んで時間をかけて乗り越えていくしかない。僕はそう思っています。

<中村仁一さんが医師になった1960年代、生活習慣病が広がり始めていた。父親の遺志を継いで医学部に進んだものの、治らない病気を前に悩んだ>
 当時は成人病と言ってましたが、感染症のように投薬や治療で完治する病気じゃないですよね。一生懸命勉強したものの、自分の診ている患者さんが治らないんだと思うと、近代医療にのめり込む心境でなくなってきました。

 そして僕自身も40代の時にものすごい不整脈になった。早鐘のように脈打ったかと思うと心臓が2秒半ぐらい怠けるんですよ。胸がつまって夜中に跳び起きるんです。おやじの姿を思い出しました。医療の限界も不確実性も骨身に染みて感じていたし、薬を飲んで上っ面だけ帳尻を合わせてるのも嫌だったが、何か生きる支えが必要だった。

 最初は聖書を斜め読みしたけれどしっくりこない。それで次は仏教の入門書を読みあさったんですね。結構必死でした。そこで「思い通りにならないものを思い通りにしようとするから苦しい」との考えに出会ったんです。楽になった。病気を受け入れてともに生きていくことを学びました。

<1996年4月、「今を輝いて生きるために」をキャッチフレーズに、「自分の死を考える集い」を京都市内で始めた>
 「死」を頭の片隅に置いて生きることで「生」が締まったものになる。生き方を考える集いだから雰囲気は明るいですよ。先月までで184回も続いたのは、「死」に絡む話をおおっぴらにできる場がまだ少ないからじゃないでしょうか。

 僕自身は「死」を具体的に考えるために、古希を記念して自分で組み立てられる段ボール製の棺おけを買いました。あの狭い空間に横になると執着心が多少は薄れるんです。あの世には何も持って行けないということを実感するんです。70歳を過ぎると根気がなくなり、何か新しいことを始めようという気にはもうならない。棺おけに入るとそういう現実も認められる。

 日本人は今、老いを認めたくない人も多いのではないでしょうか。老いは一方通行だが、それを病気にすり替えてしまうと回復を期待できる。死ばかりか老いも忌避しているように、僕には見える。

<高齢者施設の常勤医として、自然死を遂げるお年寄りを多数みとってきた>
 末期の胃がんで病院から施設に帰ってきた人がいました。もう何も飲めない食べられない状態で、その時は腹水がいっぱいたまってたんですが、8日目に亡くなった時はそれが全部なくなっていた。体にある水分を全部使い果たして死んでいったんです。とても穏やかな死でした。「人間ってこんなに精巧にできてるんだ」と驚きました。

 こういう死を多数見ていると、自然に死ぬってことはそれほど怖いことじゃないと思えてくる。僕もできればそういう死に方を次の世代に伝えたいと思います。目やら耳やら年々あちこち悪くなってきてますが、そのうち月ごと日ごとに悪くなっていくと思う。それを受け入れて不自由さと仲良くしながら、生きて死ぬ姿を周りに見せたいなと思います。

なかむら・じんいち

ダンボール製の棺桶の感触を確かめる中村仁一さん(27日、長岡京市下海印寺の自宅)
 1940年長野県生まれ。内科医。96年から「自分の死を考える集い」を主宰。高雄病院院長・理事長を経て現在、社会福祉法人「同和園」付属診療所長。

【2011年8月12日掲載】