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(20)日本画家 忠田愛

Lament 生きている者の核に迫る
東日本大震災被災者への祈りを込めた作品「Lament」(2011年)

 絵肌は粗く乾き、朽ちてゆく古い壁を思わせる風合い。所々黒く焦げた跡、そいだ跡、ひび割れた跡、麻布の繊維がむき出しだ。土のような色の画面から、おぼろげに老人の顔の輪郭が見えてくる。日本画家忠田愛(1981年〜)は「ゆるやかに変化していく可能性をはらんだものを描きたい」と言う。陶土を塗った麻布を支持体に、岩絵の具、墨、木炭、獣骨炭などで何度も塗り重ね、削り、洗い落とし、バーナーや線香で焼く。「身体的感覚を大事にしている。描くというより、作るとか刻むという感じです」

 画業は、「死」を見つめることから始まっている。小学生のときに祖父が死んだ。太平洋戦争の激戦地ラバウルの話をよくしてくれた。大好きな祖父の死は、「傷」として残った。自分とは何か、死とは何か。大学で絵を学び始めてすぐ老人を対象に描いた。自分自身の傷と向き合った。花や木も描いたが、どうしても死に意識がゆき、枯れた花や、落ちてしまった植物になった。友人の祖父をモデルに4年半描き続けて、老人は亡くなった。2008年、その記憶を頼りに13枚の連作を完成させた。「描くうちに『死』への思いが変わっていった。土に還る、自然に還る、来た場所に戻るんだ。生も死も同じ。描くことを通して死を受け入れられた」

 大阪生まれ。同志社大文学部で美学を学んでいた時、シベリア抑留体験を描いた画家香月泰男の絵に衝撃を受けた。香月の妻に会いに行くほどだった。「戦争という部分で、祖父と重なったのかもしれない」。京都造形芸大へ入学、イタリアへも短期留学した。博士課程修了時に大学院長賞、混沌賞を受賞。同年、全国公募の新生賞にも輝いた。2年前から銅版画にも取り組み、幅を広げている。7月8〜10日の「アート大阪」(ホテルグランヴィア大阪)には絵画と銅版画作品が出品される。

 昨年暮れ、京都から滋賀・湖西へ引っ越した。「静かで、空気が澄んで、自分の心の波が見える」。自然にあふれ、身近に生と死が際限なく繰り返される環境の中、今は花や若い女性、子どももモチーフになっている。「自分に積み重なった層を一枚一枚剥(は)いでいって、生きている者の核、本質に迫っていきたい。自分自身の真ん中に向かっていくことが、普遍的なものにつながるはず」

日本画家 忠田愛

「ひたすら自分を削いでいって、あるがままを見たい」と語る忠田愛(大津市仰木)

【2011年6月11日掲載】