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(2)右と左

京都猫文字日記
いしいしんじのノートより

 カメラがうちに来た。コンタフレックスTLRというドイツ製の二眼レフで、戦前五千台くらい製造され、大企業の大卒者の初任給が九十円だった頃(ころ)二千円以上したらしい。相対価格はさがったが、それでも中古市場での人気は高く、格安でほぼ新品を入手できたのは偏(ひとえ)に日本カメラ界の賢人田中長徳さんの御厚意による。黒いボディに縦にふたつレンズが並び、撮るときは上から覗(のぞ)きこむ姿勢でファインダーを見て撮る。鴨川の岸や先斗町、寺町あたりの路上で背を丸め、見なれない黒い小箱の上に目をくっつけている邪魔な人がいたらそれはたぶん僕である。

 京都はカメラ愛好者が多い。このカメラで撮っていたら一日に一度は必ず声がかかる。例えば荒神橋の近くでカメラに気づいた七十くらいの男性が十メートルくらい先から走ってき、こんなもんヨウ持ってはるなあ、と息を弾ませ笑う、ということがある。東寺の弘法市で露店や草花を撮っていたら、右肩を叩(たた)かれ、振り向くとやはり七十くらいのカーディガンの男性がにこやかに立ってい、二眼レフの話になり、どうぞ覗いてみてくださいと手渡すとエー、嬉(うれ)しなあ、嬉しなあ、と幸福そうな顔で、上から覗き込む姿勢のままレンズをこちらへ向ける。ファインダーのなかでいま僕は、左右反転した姿で浮かんでいるだろう。鏡に映った像がそのままスクリーンに浮かぶからで、はじめはなかなか慣れないが、このカメラで見ていると京都の町はだんだん不思議な色を帯びてくる。浮遊感というか、視点が動きまわる目眩(めまい)の感覚というか。

 小学生の頃京都の地図を見るたび不思議な感じにとらわれたことを思い出す。左側に右京区、右側に左京区。京都では箸(はし)の持ち方が違うのやろかと大阪の少年である僕は思った。それともなんかのおまじないやろか。そうでなく、上のある視座から見て右京、左京と分けるのだと後で知ってなるほどと思ったが、理屈でない、なにか揺れ動く感じはそのあとも強く残った。僕にとって、左右反転する二眼レフは京都を撮るのにこの上なくふさわしいカメラかもしれない。

 右と左ということでいうなら、僕ははっきりした口調で寝言をいう妙な癖があり、隣で寝ている園子さんはじっと聞いて記憶している。ある明け方僕は、はっきりした口調で、ナー園子さん、テレビで紅白歌合戦てあるやん、といった。園子さんはア、はじまった、と思った。あの紅白歌合戦てもうおもろないやん、そやし今年から、左右歌合戦ていうのをやったらええねん、右と左に別れてな、右組は軍歌、左組はインターナショナルとかうたごえ喫茶の歌とか歌てな、会場は武道館と厚生年金会館とでホームアンドアウェイ方式でやんねん、紅白よりこっちのほうが絶対おもろい、ンガー、と鼾(いびき)をたてはじめ、園子さんはホンマこの人は、としばし呆(あき)れ、朝食のとき教えてくれたが、僕は話をきき、寝ぼけてるほうが俺(おれ)は頭が冴(さ)えてるな、と思った。

(作家)

【2009年4月20日掲載】