京都新聞TOP > 文化・文芸・教育アーカイブ >猫文字日記
インデックス

(6)御所の森のゴリラ

京都猫文字日記
いしいしんじのノートより

 今年は国際ゴリラ年である。世界的なゴリラの研究者山極寿一さんから一緒になにかやらないかとお誘いをうけた。山極さんは以前は年の大半はアフリカにいたが、いまは大学の仕事が忙しくなかなか現地にいくことができない。山極さんから聞くジャングルの話はじっさい目の前に熱帯雨林の森が立ち上がりこちらを飲みつくさんとするばかりに生々しく面白い。山極さんの家は堺町通りにある画廊で、たまにライブ演奏や講演なども行われている。そこで小説を書くことにした。小説の題は「ゴリラ」である。

 小説を書くといっても画廊にお客さんを入れてその前で鉛筆で紙に書きながら読む。あらすじや結末はまったく考えず声をあげて読みながらその小説が進むままに書いていき、終わり、と思ったところで、オ、ワ、リ、と宣言して書くのをやめる。そういう試みをこの2年間あちこちでしている。現場にあるものや周りの風景やそこにいる人たちが小説のなかに取り込まれていき、聞いている人によったら自分がいま書かれつつある小説を生きているように感じられるかもしれない。

 堺町画廊はたいへん古い町家で、それだけ頑丈に作られ今日まで残ってきたということでもある。30人強で予約は埋まった。横向けにした机で鉛筆を削っていると画廊の外で山極さんが動き回るのが見えた。「山極寿一は」と僕は書き、読みはじめた。「世界で何人というくらいのゴリラの研究者である」。小説のなかで山極寿一は大学の仕事が忙しくなかなかアフリカに行けない。しかし講義の最中、森の葉のざわめきを感じ、コンゴの即興物語ハディシの声を聞き、祇園祭の囃子(はやし)にゴリラが胸を叩(たた)くドラムを聞いたりする。

 大学の仕事が一段落し8月に山極はガボンへ発(た)つ。数ヶ月ぶりの熱帯雨林のジャングルは山極を黒くなつかしく包み込む。ゴリラの生息数を数えたり現地の若者と自然保護について語りあう日々。ある晴れた夜キャンプで山極は耳触りな嵐の音を聞く。音は山極の耳のなかできしみ暴れ回り闇をつんざく。テントの外に出ると銀色に輝く巨大な生き物が立っている。誘うようにジャングルの奥へと歩き出し、山極はついていく。どこを歩いているかわからない闇の森を抜け、山極のからだはいつしか銀色の動物と重なり、気がつけば御所の森に立っている。京都は大嵐だ。銀色の山極は寺町を下り御池で曲がり堺町の角を曲がると家が傾(かし)ぎ悲鳴をあげている。銀色の山極は町家の壁を押さえ、雨風をこらえ、そして朝が来ようというとき電柱が土台から折れ山極のからだに落ちかかる。山極は肋骨(ろっこつ)を折りながら御池通まで電柱を投げ飛ばし、勇壮な吠(ほ)え声をあげて胸をドラミングする。

 翌朝ガボンから電話をかける。山極の妻が信じられへんかもしれへんけどと前置きし、ゆうべ銀色の背のゴリラが家を守った話をする。山極は黙ってきき、まるでハディシみたいな話やなあ、と肋骨あたりを撫(な)でて呟(つぶや)く。

【2009年7月6日掲載】