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(9)「たいふう」と中心

京都猫文字日記
いしいしんじのノートより

 この10日間旅芸人のような暮らしをしている。いまこれを書いているのが月曜だが、先々週の水曜に京都から宇和島の大竹伸朗さん家に行き、木曜神奈川県三浦市の三崎の借家に行き、金曜に東京に行って、土曜日が吉祥寺でオールナイトの音楽&小説イベントで、月曜日に三崎に戻り、火水と過ごし、木曜から2泊築地市場で泊まり、土曜の朝長野の高遠というところでブックフェスティバルに参加し、翌日曜の深夜三崎に戻った。そしてその翌日がいまだ。読んでいてなにがなんだかわからないかもしれないが、それは書いているほうも同じで、こう転々としていると玄関を出たらライブハウスのステージだったり、風呂の戸を開けるとサンマの競りが行われていたりして思わず23歩後ずさる。そしていま三崎は台風ど真ん中である。

 台風のなかにいると風に吹かれて台風の記憶がよみがえる。京都は台風という印象があまりなく、自分の目で見た最も古い台風の光景は淡路島で、幼稚園の頃、吹き上げられたビールのケースが上空でぱらぱらと茶色いミサイルを発射し、よく見るといっぱいに積んでいたビール瓶だった。ただ、それより深く刻まれているのは、室戸と伊勢湾の二大台風で、まだ生まれてはいなかったけれども、祖母の薄暗がりからの声でその様(さま)を克明に、見ている景色以上に鮮烈に記憶の底に描きこまれた。泥流が前方から襲い、戸板や廃材、自転車や犬の死骸(しがい)が息つく間もなく流されてくる。やがて自分もその一部になり、泥に運ばれていきながら空を見ると夜でどうしてか星が光っていて、台風は行ってしまったかそれとも台風の目か、そう思いながらチャポンと音がして何も見えなくなる。初めて書いた本は「たいふう」といって、幼児生活団の課題で書いたのだが、自分の書いたその「たいふう」に吹き飛ばされ、30年後地上に着地して小説を書くようになった。「たいふう」は初めての長編「ぶらんこ乗り」の冒頭にそのまま使っている。

 「この風でどこかへ吹き飛ばされたい」という憧憬と、「どこへも吹き飛ばされたくはない」という現実の、ちょうどその間で両手を引っぱられながら生きている。三崎の空を見あげると赤い旗や馬や漁船が飛んでいく。その感じを歌詞にした「海からの風」という歌を原田郁子さんがソロアルバム「ピアノ」で歌っている。彼女も台風を内に抱えて音楽をやる人だ、というより、誰もが自分のうちにそれぞれの台風を抱え、憧憬と現実の間で足を踏ん張り、何食わぬ平静な顔で日常を暮らす。京都に台風の印象があまりないと書いたが実はそうでなく、何千何万と折り重なった台風の目、という気がしてくる。荒々しく吹き巻く風や飛んでいく物の中心で、それらを見つめ、絶妙なバランスを保っている、透明なまなこ。三崎の雨風はやんできた。この金曜日に原田さんの舞台を東京で見、土曜日には風に乗って京都の家に帰る。(作家)

【2009年9月7日掲載】