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(10)タコと亀の光景

京都猫文字日記
いしいしんじのノートより

 三崎では初夏から9月くらいまで、午前中に仕事を済ませてしまい、太陽が照りつける午後は、道具を肩に背負って近くの磯に出かけ、素潜りで貝やウニを「拾う」。半島の西側の諸磯の岩場や城ヶ島などでは浜でバーベキューの一団が「拾って」きた獲物を炭火で焼いている。「拾う」レベルでない、つまり密漁となると、監視している漁協のボートがホイッスルを鳴らし近づいてきて、パンツに挟んだものまで全部取り上げられてしまう。一度、城ヶ島の磯で堂々と「ヤス」を持って潜り浮かびしている人がいて、うわ、ごっついな、と離れて見ていたらすぐにヒュヒューイと笛を鳴らしボートが来た。船上から「オメー、なめてんとぶち殺すぞ、突いたもんここい出しやがれ」。するとヤスの人は大きく手を振って笑い、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、俺(おれ)タコ見てんだけだカラ」といった。非常に驚いたが、ボートの人らも同じだったらしく、しばらくその場で沈黙し、やがてボートをトトトと近づけていって男の身柄を拘束した。デッキに引っ張り上げる途中、足に縛り付けた網がずるずると現れ、赤黒くうねる何匹もの生き物でいっぱいだったが、その光景は映画「太陽がいっぱい」のラストにどこか似ていた。

 土地にはその土地なりの水の遊びがある。水がないとそこに人が住むことはできないから、たまにその生命の源と戯れ、ふだんとは一枚深いレベルで、その土地の水に浸ろうとからだが欲するのかもしれない。信州では湖のカヌー、セイリング、雪や氷も水とみるならスキー、スケートも水遊びだ。東京や大阪は、というと男性は夜のネオン街の回遊、女性は湯水のようにじゃぶじゃぶ使うお金というのは、擬似的な水遊びに見えなくもない。京都の水遊びということでは、昔から変わらないのが鴨川の飛び石である。浅いところに半畳ぐらいの石を点々とリズミカルに並べ、飛び移っていけば橋を使わずに鴨川を渡れるようになっている。齢(よわい)も性別もばらばらな人たちが皆ズボンの裾(すそ)を折って、早い人ならばタン、タン、タン、不慣れな人はおずおず腰を引き気味のジャンプをくり返し、右岸から左岸から渡っていく。落ちても川は大人の膝(ひざ)までくらいだから子どももだいじょうぶだ。

 荒神橋を歩いていてふと見おろしたらものすごく飛び石がうまい黒ずくめの人がいる。足もまた長く三段跳びのように次々とまたぎ越していく。そして問題は黒い人は犬を連れていることで、犬がものすごく怯(おび)えていることに黒い人は気づいていない。見回すと河原じゅうの人がぴんと張りつめた綱の先の犬を注視している。亀の石のところに来た。盛り上がった甲羅を、ガリガリ、爪(つめ)を鳴らしてクリアし、黒い人を除く全員がフウと吐いた息が川面を揺らせ、犬も揺らせ、驚いた犬は次の石で足を滑らせ、引き綱に引っぱられて黒い人も一緒に、両手をバンザイさせ、黒い背中から水しぶきをあげて鴨川に落ちた。 (作家)

【2009年10月5日掲載】