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(11)水と都

京都猫文字日記
いしいしんじのノートより

 水都大阪2009という催しに参加してきた。日暮れから、中之島の野外劇場のようなところにバーカウンターを設(しつら)え、司会者はバーテンダーの格好をし、三組のゲストが観客を前にカウンターに座ってトークを繰り広げる。「水商売」ということかもしれない。僕の参加した回には「小説家」「芸術家」「歴史学者」とまあまあ水っぽい肩書きの三組が集まった。司会者が「飲み物はビールかお茶か、どちらに」ときくと三組とも速攻で「ビール」「ビール」「ビール」と答えた。「歴史学者」の山田創平さんが最初に大阪と水をめぐるおおまかな見取り図を示す。「いま僕たちがいるこの中之島も、80万年前には海の底でした。ではその当時、海岸線はいったいどの辺りまで来てたと思いますか」。ウーン、僕も観客も考える。答えは「京都の深泥池」、あの辺りまで畿内は一面海の底で、途中にぽつんと生駒山の山頂が小島になって突きでていた。その後氷河期が来て極地で氷が厚くなったため海面は下がり、2万年前には京阪神から四国まで、水の引いた瀬戸内海を歩いて渡れた。海岸線は巨大な生き物の呼吸のように引いたり寄せたりを繰り返すのだ。

 「芸術家」は淀川テクニックという男性ふたり組で、淀川に流れ着いたゴミを集めて巨大な魚や鳥居などのインスタレーション作品を作っている。淀川のどこの岸にどんな物が流れ着くか当然ながら熟知しているが、そういう彼らだからこそ、淀川の岸辺に流れ着いた「人たち」のことも熟知している。スライドショーで披露したのはそういう「人たち」が住まうビニールシートや材木で川岸に建つ家で、一軒ずつ見ていくと家には本当に性格が出ている。草木と一体化した緑の妖精みたいな家があれば、木机に灰皿とテレビデオを置いて「誰でも気軽にくつろげるコーナー」を用意した家もある。だんだんとそういう家々自体、淀川と海の出会う汀(なぎさ)でこそ生まれた、時間と縁の作品群という風に見えてくる。

 「小説家」の僕はというと、ずっと水辺に住んできた話をした。意識してでなく、いつのまにかそうなってきた、という感じで、大阪の万代池、京都の疏水、東京の隅田川、三浦半島の三崎。松本は、というと氷と雪の町と考えればそこも水辺、そうしてまた京都の鴨川沿いに二十年ぶりに戻ってきた。そんな時間と空間の移動のなかでこそ、生まれてくる言葉や文章というものもあるだろう。言葉とは、目に見えるようでいて、水面に浮かぶ木の葉を見ているようなもので、字を見ていると思いながら実は読んでいる人は、その葉を運んでいく透明な水の流れや水音、その奥底に住まう生命のゆらぎを、目や耳の奥でたしかに感じている。ドドドド、水音と波をたてて遊覧ボートが通りすぎる。トークをつづけながら自分たちがいま海の底に座って話しているような気がしてきた。そう思って振り向くと山田さんの口からプカリと透明な泡が上がりまっすぐ夜空へ消えた。 (作家)

【2009年10月19日掲載】