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(18)光と闇の魔法

京都猫文字日記
いしいしんじのノートより

 映画館「みなみ会館」で小説のイベントをやった。僕の好きな映画「夫婦善哉」を夜8時からかけてもらい、終わったら舞台上に机と椅子(いす)を置いて、そのまま即興で小説を書きながら読む。場内は映画を見ているときと同じように真っ暗、舞台上の僕には、映写機の強烈な光一本が当たっている。「夫婦善哉」は2時間の映画で終わるのは10時、それから小説を書くと、これまでの感じだと20、30分かかるので、帰りは少なくとも10時半過ぎになる。「みなみ会館」の160席の、半分くらいは埋まってくれたらいいな、イヤ、せめて3分の1、と前日までは思った。

 7時半過ぎに会場に着いたら、階段に行列がはみだしていた。ロビーは満員、聞けば予約だけでほぼ満席、立ち見が出るかもしれないとのこと。場内には、東京に住んでいるはずの友人や、家族総出で列に並ぶ知人、加えて「みなみ会館」にはたぶんこれまで来たことがなかった若い男女の顔が多く見え、これでもう小説がどうこうより、目的の大半は果たした、という気になった。ブザーが鳴り、160人余りは席についた。計ったようなぴったりの満席。こんな「みなみ会館」は初めてだ。そして「夫婦善哉」の光が始まる。

 ふだん僕たちは映画というと、日に何回、明日も明後日も上映され、マアそのうちに行けばいい、と思い時を過ごす。それで気がつけば終わっていることが多いが、それでもビデオ、DVDがある、とたかを括(くく)っている。しかし数十年前、1本の映画を見るのは、おそらく数日前から夢の遠足のように楽しみだったはずだ。映画はその日その時間にしか立ち会えない光の奇跡だった。この「夫婦善哉」の夜、観客と映画とは、久しぶりにそんな関係で結ばれているように見えた。「夫婦善哉」は、いっそう張り切って力を絞り、豊かな闇と光で僕たちをくるんだ。ストーリーとか映像美とか、それは二の次で、映画とは本来「楽しい時間」なのである。160人と映画は手をつなぎ、時計的時間から離れ、遠い別の場所へ遠足に出かけた。何度も見ているがこんなに素晴らしい「夫婦善哉」は初めてで、後で大勢の人が同じようにいっていた。

 小説でも奇妙なことが起きた。真っ暗ななかライトを浴び、俳優と少年と「赤黒い塊」の話を淡々と書いていき、普段通りの感覚で「オワリ」が来た。場内にはほぼ全員が残ってくれて映画館には珍しい拍手が起き、場内が明るくなってから、ロビーで「50分書いていた」といわれ驚いた。誰にきいてもそうだという。40分から、50分。自分の感覚ではたしかに20、30分なのに。

 光と闇が交互に来る、映写機のライトのせいかもしれない。僕は半分の時間を光に、もう半分を闇に照らされて書いていた。だから闇の分だけ、倍の時間がかかった、という気がする。映画館で小説を書くとこういうことが起きる。それも「みなみ会館」が僕に見せてくれた、ちょっとした魔法にちがいない。 (作家)

【2010年2月1日掲載】