京都新聞TOP > 経済特集アーカイブ > 最長景気の断面
インデックス

崩壊 使い捨てられる若者

第2部 ひずむ雇用(1)
 風呂のない六畳一間のアパートに帰り着くのは、10時間の夜勤が明けた午前9時。食事も取らず布団に倒れ込む。
 岩崎弘泰さん(30)は天井を見つめふと考える。「どうすればこの生活から抜け出せるだろう」
 派遣先の滋賀県内の工場でエアコンの室外機に大量のビスを打ち付ける毎日だ。時給は920円で月収はよくても16万円。ボーナスはない。収入を考えれば、家はもちろん、車も買えない。
 京都での学生時代は大学院を目指し、就職活動はしなかった。院の試験に落ち、2000年4月から勤務先を派遣社員として渡り歩く。
 好んで職を転々とした訳ではない。リストラや海外への生産移転で仕事を失うこともたびたびだった。それでも「いろんな職種を経験できる」と自分を納得させてきた。
 長岡京市内の工場で働いていたある日のこと、正社員からののしられた。「おまえらがチンタラ働くと仕事が遅れ、おれらの賃上げに響くだろ」
 「結局、僕らは道具なのか」。自分の立場に疑問を抱き、27歳の春、正社員の職を求めた。面接官の言葉は冷たかった。「正社員の経歴はないの?」。しばらくして不合格の連絡がきた。
 新卒で正社員にならなかった若者を、世間は「努力不足」「自己責任」と突き放す。非正規社員でまじめに働いてきたとしても、企業は正社員の経験がないとはね返す。岩崎さんはやりきれない。「いったいどうしろというんだ」
 剣道で鍛えたがっちりとした胸板にふっくらした顔。切れ長の目できりっと前を見据える青年の遺影が居間に置かれている。「がんばれば出世できるって話してたんです」。母親の中田弘美さん(50)=福知山市=は長男衛一さんの遺影を見つめた。
 衛一さんは高卒後の1997年、綾部市内の大手建材メーカーの工場に正社員で入社した。仕事はミリ単位の狂いも許されない窓枠の製造。残業は当たり前。午前8時前に家を出て帰宅は午前0時でも早い方だった。休日はずっと眠り続けた。
 有給休暇はあまり取らなかった。「休んだら会社に迷惑をかける」。責任感が人一倍強かった。
 入社3年目、1週間おきに昼夜が逆転する不規則勤務に変わった。正社員の同僚は次々辞め、仕事の相方が残業のない派遣社員に代わった。穏やかだった衛一さんが、会社や同僚に対する愚痴をこぼすようになる。
 2001年6月16日。早朝に帰宅し、食事も取らず布団に入り、そのまま起きてこなかった。22歳、短い一生だった。
 遺族は福知山労働基準監督署に過労死申請した。会社はタイムカードがないのを理由に長時間労働を認めなかった。過労死申請は却下された。
 「いいように働かされた。衛一に青春はあったのでしょうか」。弘美さんは震える声で訴えた。今月12日、遺族は会社に損害賠償を求め京都地裁福知山支部に提訴した。
      ◇
 戦後最長の景気拡大が続く中、非正規社員の増加や労働環境の悪化など、雇用問題が噴出している。京滋の現場から問題の背景と解決に向けた動きをリポートする。=6回連載予定。
【2007年6月26日掲載】