京都新聞TOP > 経済特集アーカイブ > MyウェイMyライフ
インデックス

ゆばブームの仕掛け人

比叡ゆば本舗ゆば八社長 八木幸子さん 
比叡ゆば本舗ゆば八社長 八木幸子さん

 京料理や精進料理などに使われる食材の一つ「ゆば」。ゆばメーカーの社長として、また、ゆばブームを巻き起こす仕掛け人として、全国を飛び回る。「ゆばの生き証人になりたいのよ」と笑う。
 大津市内で育ち、市内の高校を卒業後金融機関に務めていたが、「おれについて来いタイプの人で、商売人と結婚したい」とお見合いした相手が、「比叡ゆば本舗ゆば八」の社長を務めていた憲一さんだった。お見合い翌日にプロポーズされ、約三カ月後に結婚した。
 会社の経理を手伝い、結婚翌年に長女が生まれても、出産三カ月後から長女を連れて出社した。三年後に次女を出産した際も、帳簿を自宅に持ち帰って仕事をした。
 「毎日夜二時に寝て、朝五時半に起きる生活。家事も仕事もと、完璧主義だった」と振り返る。
 その後生まれた長男が小学高学年の時、完全に職場復帰。夫とともに仕事に励み、一九九三年には本社も新築した。その矢先、悲劇が訪れた。
 翌九四年五月。朝、業界団体の旅行に出かけた憲一さんが、自宅からわずか五百メートルのところで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。五十四歳だった。突然の別れに、何が起きたか理解できなかったが、気持ちを奮い立たせ、密葬の翌日に取締役会を開き、社長に就任した。
 無我夢中で社長業をこなしたが、大好きなお茶漬けものどを通らず、手足がしびれた。従業員が次々と辞めていった時も、愚痴や不平を言わず、従業員をほめて育てる夫のやり方を手本にした。
 そんな時、世間では海藻せっけんが流行しているのをみて、ひらめいた。「珍味である限り、ゆばの需要は伸びない。ブームをつくって、ゆばを一般食品にしたい」。
 ゆばの料理教室を開催し、工場の見学会も始めた。海外で活躍する日本人シェフに、ゆばを使った料理を考案してもらい、ゆば料理の本も出版した。自らが広告塔となり、ゆばの良さ伝えようと、全国に講演に出かけるようになった。
 今、大豆や燃料などの原材料価格の高騰が、経営に重くのしかかる。だが、決して前向きな気持ちを忘れない。「環境が厳しい時ほど、経営者の出番。明確な経営ビジョンを打ち出し、従業員と共有して乗り越えたい」

 やぎ・さちこ 膳所高卒。大手信託銀行に勤務後、1970年に比叡ゆば本舗ゆば八の社長八木憲一さんと結婚。94年憲一さんの急逝に伴い社長就任。滋賀経済同友会常任幹事。モットーは「念ずれば夢かなう」。京都市出身。63歳。

【2008年8月31日掲載】