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発祥地復活へ模索 伝統の技生かし新製品

木地製造(東近江市永源寺地域)
木に刃物を当てて削っていく小椋昭二さん。刃物もろくろ台も全て手製。自身の感覚を頼りに作業を進める(東近江市・君杢)

 ろくろを使って木の製品を作る「木地師」発祥の地、東近江市永源寺地域では、伝統ある産業が現在も受け継がれている。数人の木地師が活動しており、後継者不足や高価で大量に販売できないといった課題がある中、盆や茶器だけでなく新たな製品を製作するなど木地製造を後世に伝えるための模索が続く。

 円形の板をろくろで高速に回転させる。先端が釣り針のように曲がった刃物を当てると、糸くずのような木くずが舞う。完成間近の木の盆に滑らかなカーブと表面の光沢が生まれていった。同市君ケ畑町で工房「君杢(きみもく)」を開く小椋昭二さん(60)は「木を削って磨くだけで、色つやや美しい木目など木の持つ魅力を引き出すのが仕事」と話す。

 永源寺地域は木地師発祥の地だが、江戸時代末期には従事者がいなくなった。戦後、他の地域から移り住んだり、住民が木地師となったりして復活させ、伝統を守ってきた。この地域で現在は4、5人が活動している。盆や椀(わん)、茶器、菓子器などが主な製品。時代によって表面に漆を塗ることもあったが、現在は何も塗らなかったり、透明の塗料をかけるのが主流だ。

 地元出身の小椋さんは年間400〜500点を販売する。バスツアーの観光客や口コミで知った客が工房を訪れて購入していく。手掛ける木地製品は10万円を超えるものもあるが、需要が高いのは5千円までの製品ばかり。乾燥期間が5年以上かかるうえ、全工程を一人で行うなど大量生産は難しく、採算は合わないという。

 小椋さんは「この地で(木地の)安易な仕事はするなと教えられた。安い輸入製品に値段では勝てないが、技術を評価してもらうしかない」と語る。

 そんな中、同市甲津畑町で工房「〓女(きじめ)」を開く飯塚忍さん(60)は新たな木地製品に挑戦している。従来より木を薄く仕上げられる西洋ろくろと呼ばれる旋盤機を使っている。現在手掛けるのは球状の木製スピーカー。一木造りで中は空洞に仕上げる。「生活様式の変化を考えながら消費者の求めるものを探っていきたい」と、伝統的な技術を生かした新製品開発に活路を見いだそうとしている。

 木地師資料館(同市蛭谷町)には観光客が年間500〜600人が訪れる。小椋正美さん(79)は同館を拠点に、木地製造の作業体験をしてもらったり、小椋昭二さんの工房を紹介するなど観光客に理解を広げようと努めている。「木地師や製品に興味を持つ人は多い。その関心を生かして産業として復活させ、木地師のふるさとを守りたい」と力を込めた。

<データ>
 平安時代初め、同市永源寺地域の小椋谷一帯(現在の姪谷、君ケ畑など6町)に文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王が入山し、住民にろくろ技術を教えた伝説が残る。その住民が全国に木地師としてちらばったという。木地師発祥の地として、江戸時代などに全国の木地師を統括した歴史もある。惟喬親王祭が地元の神社で7月に開かれ、現在も全国から木地師が集まる。

<ぷらすα>

磨き上げられた木の盆。木目の美しさと、塗料を塗ったかのような光沢が目を引く(東近江市・君杢)

 現在、永源寺地域で木地師の後継者はほとんどいない。また小椋正美さんの住む姪谷町で生活する家族はわずか2家族だけで小椋谷一帯で過疎化が進むなど地域も厳しい状況にある。

 木地師になりたいと訪れる若者はある。小椋さんはかつてなりわいとしていた製材業の技術と独学で習得した木地製造の技術を、これまでに10人以上に教えた。ただ、多くは県外に移り住み、一帯には定着していない。

 三重県いなべ市と東近江市永源寺地域をつなぐ石榑(いしぐれ)峠道路が3月に開通した。「この辺りもにぎやかになればいい」と小椋さん。多くの人が訪れることが木地師の伝統の継承につながるはず、と願っている。

【2011.10.23掲載】