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削減の陰で 実態変わり、揺らぐ指導

学校教育のゆくえ(2)
久御山町教委の「土曜塾」で勉強する生徒たちに教える地域の人ら(京都府・久御山町役場)
 始業のベルが鳴っても、六年生児童らが席に着かない。「め・い・そ・うー(瞑想)」。担任の男子教諭が声を張り上げる。京都市南部の小学校。ようやく児童の騒ぎ声が静まる。「授業前はいつもこんな状態」と教諭は嘆く。総合学習の時間も「校外学習は負担」と、児童の問題発生を極力避けてプリント学習に充てることが多いという。
 いじめや学級崩壊など「学校の荒れ」は深刻化している。公立小教諭を長年務めた立命館大教授の陰山英男は「九〇年代初めから、子どもの生命力のようなものが落ち、学ぶ態勢になりにくくなった。ビデオやゲームなどが普及し、子どもの夜型生活が広まった時期と重なる」と指摘する。
 その上で一九九二年に個性尊重を打ち出した「新・学力観」に基づく前回の指導要領にさかのぼり、「子どもの生活改善に手をつけず、楽しく勉強しようとか、子どもを傷つけないようになどと言い出し、教科学習を削減した。その流れの総決算が二〇〇二年からのゆとり教育。現場がゆるみ、子どもの問題行動が増え、教師の指導力も落ちた」とみる。
 ゆとり教育を象徴する総合学習にも手厳しい。「教科学習と連動していない。総合学習で一年生から『国際化』を学ばせながら、世界の国について学ぶのは六年生。カリキュラムがズタズタだ」。現場裁量に任された教科だけに、「うちは体験だけで終わっているのが実情」(京都市の小学校教師)などと学校間のばらつきも大きい。
 総合学習とともに、ゆとり教育を象徴する学校五日制。通学日を削減して「週末は家庭や地域に子どもを戻し、体験や自ら学ぶ時間に充てる」として導入された。だが、地域の受け皿が整わないまま、実態は変わりつつある。
 六月の土曜日。閉庁した京都府・久御山町役場に久御山中の生徒約六十人が集まった。午前九時から三時間、期末試験向け英語と数学、国語の三教科中心の勉強に励んだ。生徒のそばには町教委の募った地域住民らのアシスタントティーチャー二十人と、同中教諭らが寄り添い丁寧に疑問に応える。
 町教委が本年度から始めた「土曜塾」。交通不便な地域性、全国平均より低い通塾率を踏まえ、「学習空間の確保と学習習慣の定着」を狙う。教育長の石丸捷隆は「今の子どもの学力をいつ回復させるのか。課題に気づいているのに放っておけなかった」と明かす。
 京都市教委も現行の指導内容に加え、全教科で独自の学習内容を盛り込み、基準である年間二百五日を超える授業を展開する。土曜を使った補習も、本年度から計五十の小中学校で行う予定だ。
 こうした動きの背景には、文部科学省が二〇〇二年の現指導要領(ゆとり教育)の実施を前に、「要領は最低基準」として従来の方針を軌道修正した経緯がある。一九九二年の前回指導要領に対し、高まった学力低下批判に呼応したのだ。
 ぶれる国の姿勢。京都市内のある中学校長はいう。「ゆとり教育は実施前に骨抜きになった。現場は常に五里霧中だった」(敬称略)
<授業時間数の変遷>
 1977年の指導要領改訂まで、小学校は6年間で5821時間、中学校は3年間で3535時間あった。以降は削減が続き、2002年からの現指導要領は小学校5367時間、中学校2940時間。新要領で小学校は計278時間、中学校も計105時間増え、前回要領(1992年実施)水準に近づく。
【2008年7月22日掲載】