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(1)児童は「うちの子」 |
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強い絆 竈金の精神 今も |
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| 清水焼の器など、著名な卒業生の作品が並ぶ校長室。数が多いため、市学校歴史博物館に保管されている品もある(京都市東山区・清水小) |
清水寺へと向かう坂の途中に立つ京都市東山区の清水小。校長室には、地元の特産品・清水焼の器が所狭しと並んでいた。
人間国宝の故近藤悠三さんの名前があった。「幼いころから本物に触れてほしい、少しでも学校のためになれば、と父だけでなく多くの芸術家が寄贈したんです」。そう話す次男濶(ひろし)さん(75)も、同じ陶芸家として作品を学校に贈った一人だ。
清水焼の校章寄贈
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| 1933年に建てられた清水小の校舎。アーチ形の窓やスペイン風の瓦に工夫が凝らされている |
父もきょうだいも子どもも、清水小(旧安井小)の卒業生。「数々の先輩が盛り立ててきた『地域の学校』ですから、私たちもしっかり支えないと」。児童の絵付け体験を手ずから指導したり、陶製の校章バッジを焼いて毎年新入生に贈ったり。その根底にあるのは、児童を「近所の子」ではなく「うちの子」としてはぐくんできた地域の気質だ。
「食べる物も着る物もない時代に、ほかの学校ではできない体験をさせてもらった」と振り返る清水寺の貫主森清範さん(70)は、戦後まもない1952年度に同小を卒業した。当時、交換学習で和歌山県・白浜の小学校に一泊した記憶が今も鮮やかに残っている。
「大変な時代やったけど、地域と学校が一緒に『子どもに思い出を作ってやろう』と汗をかき、白浜に連れて行ってくれた。初めて味わった海の水のしょっぱさと、感謝の思いは忘れない」
京都には明治維新の直後、町衆の手でいち早く64の番組小学校が創設された歴史がある。教育のため、竈(かまど)のある家はすべてお金を出し合って学校運営に充てたという「竈金」の精神が、番組小の一つである清水小の学区にも息づいている。
「特に清水学区は社寺の多い観光地でしょう。マンションは規制があり建てられない。だから、人口の流入もほとんどない。親・子・孫と代々清水小に通う家庭も多く、卒業してもずっと学校は身近な存在なんです」。茶わん坂で織物店を営む岡本喜八さん(61)は話す。
大人も学ぶ場
岡本さんの子どもも全員、清水小の卒業生だ。自身も父親も、かつてPTA会長を務めた。人間関係の濃いPTAは、よそから嫁いできた若い親が地域になじむための「登竜門」であり、地域を支える人材を多く育ててきた。「学校は子どもだけでなく、大人が学ぶ場でもあるんです」
昨年の夏休みには、PTAの企画で校内キャンプが行われ、児童99人と地域住民が教室で一夜を過ごした。ともに枕を並べ、閉校前の最後の夏の思い出を子どもたちに贈った。
1933(昭和8)年に安井小から改称して以降、約8300人の児童を送り出した清水小の歴史は、3月で終わる。「でも」と岡本さんは言う。「学校と地域の関係は終わりにしたくないね」
開睛小中学校
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| 開睛小中学校 |
東山区北部の白川、新道、六原、清水、東山の5小学校と弥栄、洛東の2中学校の統合による小中一貫校。洛東中の跡地に4月開校する。統合後の児童生徒数は約850人。
7校のうち番組小の「直系」校は清水小、新道小、六原小、弥栄中(旧弥栄小)。東山小(修道小と貞教小の統合校)、白川小(粟田小と有済小の統合校)も番組小の流れをくむ。
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| 4月1日、東山区北部の市立5小学校と2中学校が統合し、小中一貫校「開睛(かいせい)小中学校」(東山開睛館)が開校する。番組小の伝統や独自の教育文化を色濃く残す清水小、新道小、六原小、弥栄中の4校を中心に、校区のこれまでとこれからをたずねる。 |
【2011年3月3日掲載】 |
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