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(17)ぬくもりとともに

埋まらない家族アルバム
生まれて間もないころ、母親に抱かれる吉美さん=家族アルバムから
生まれて間もないころ、母親に抱かれる吉美さん=家族アルバムから
 出産歴がない41歳の女性が子宮体がんと診断され、ごく初期にもかかわらず、医師から「助かるには子宮を全摘するしかない」と宣告された。その時、彼女はどんな思いを抱いたのだろうか。想像してほしい。もし、あなたの妻や恋人、娘か親友だったら、何と声をかけるのだろう。

 子宮の喪失という大きな代償を払い、手術は無事に終わった。それだけでも心と体に痛みを伴うというのに、術後に肺炎を発症し、突然、心肺停止に陥った。救命措置を受けて、何とか一命を取りとめるも、次は重度の意識障害と引き換えだった。4年以上にわたり、そんなわが子を前に、父は家族アルバムの思い出を胸に生きてきた。

 病院や医師に過失がなかったと仮定したとしても、一つの事実は断言できる。稚拙な医療行為の結果とその繰り返しによって、遷延性意識障害が生み出された。逆に、医療行為がなければ意識障害はなかったのだ。そして、彼女の人生から、可能性を奪うことはなかった。理不尽という言葉しか残らない。

 長女吉美さんが入院する病院からの帰り道だった。ふだんは口数が少ないのに、父親の吉広さん(68)が感情をあらわにした時があった。

 「目の前の娘とまったく会話ができない。話しかけても何も返ってこない。ひと言でもいいから、返ってきたらと思う。本当に、もどかしい。毎日、栄養の入った液体を胃に直接流し込むだけ。あんなに食いしん坊だったのに、何も味が分からない。お酒も強かったし、かしわ(鶏肉)が大好物だった…」

 秋の夕暮れ時だった。家の明かりが一つ、また一つと、ともっていく。当たり前の存在のように思っていた家族は吉美さんひとりになった。

 「娘が意識不明になったこの4年間、大ファンだった阪神の試合、東日本大震災、福島第1原発の事故、サッカーのワールドカップ…。何も知らない。すべて空白だ」

 もし、がん手術を受けなかったとしたら、きっと今も元気だったに違いない。もちろん悪化していたかもしれないが、人間らしい人生を送っていたはずだ。遷延性意識障害になったひとり娘を前に、病院は「手術は成功した。再発の心配はない」と、冷酷に言い切った。吉広さんは「私たちから人生を奪ったというのに、完全に開き直り、悪びれもしない、あの傲慢(ごうまん)さが絶対に許せない」と語った。

 吉広さんは家族アルバムに貼った1枚の写真を見せた。幸せそうにほほえむ妻とまるまるとした娘の姿が写っている。40年以上が過ぎた今も、生まれたわが子を抱きしめた時の感覚は消えない。「お父ちゃん」と甘えていた幼き日々が走馬灯のように駆け巡る。しかし今、家族アルバムに写真が増えることはない。ページは白紙のままだ。

 1600日を超えた闘病を振り返り、吉広さんは「未来が全く描けない」と言う。それでも彼女は時折かすかな反応を見せ、生きている。

 父のぬくもりを肌に感じつつ、沈黙と傷痕とともに。=おわり

【2014年11月04日掲載】