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母子地蔵

疏水べり 子を供養
子どもたちの安全を願い、疏水べりに安置された母子地蔵(京都市山科区安朱馬場ノ東町)
 母親が左腕で子どもを抱き寄せ、左太ももの上に座らせている。安らかに目を閉じている表情は、まだ鮮明だ。琵琶湖疏水の完成から九年後の一九〇三年、疏水に落ちて水死する子どもが相次いだことに胸を痛めた船頭が、安朱の住民の協力を得て、疏水のほとりに地蔵堂をこしらえた。
 船頭の名は善兵衛さん。今の高島市から琵琶湖を渡り、大津から疏水で京都や大阪に織物を運んでいたという。地蔵堂の近くに住む中澤良三さん(九〇)は「疏水べりには今のような立派なさくがなかった。うっかり足を滑らせて落ちると、小さな子は命を失った」と話す。
 善兵衛さんと安朱の村人は、亡くなった子どもたちの供養とこれ以上の犠牲者を出さないよう、旧志賀町(現大津市)の石工職人に地蔵を彫らせて安置した。
 地蔵堂の前では毎夏、安朱北部町内会の子どもたちが地蔵盆をする。赤い前かけは地元の子供会が奉納し、掃除や管理は地蔵堂の隣に住む住民が続けている。善兵衛さんたちの思いは、今も町内で引き継がれている。