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孝子儀兵衛翁旧趾

親孝行の心、今も
親孝行で知られた儀兵衛の住居跡を伝える石柱(京都市西京区川島粟田町)
旧家も残る住宅地が広がる京都市西京区川島粟田町の旧山陰街道沿い。車道が間近に迫る民家の軒先にひっそりと立つ、高さ約一メートルの小さな石柱。車の往来が頻繁で落ち着かないが、「孝子儀兵衛翁」の文字が読める。石碑は、大正から戦前にかけて、小学校の修身の教科書に親孝行の模範として取り上げられた儀兵衛(一七二四−七九)の住居跡を示す。
 儀兵衛は四条堀川の紙屋に生まれて間もなく、川島村の貧しい農家の養子になったが、十歳で養父が死没。毎日の食べ物にも困ったが、母には好きなものを食べさせ、自分は我慢して口にしないことも度々あった。養子であることを知っても、「実の子でない私を大切に育ててくれた」と感謝したという。
 毎年十月五日の命日には、その徳をたたえる地元有志による「孝子祭」が儀兵衛の墓がある冷聲院で行われる。林俊光住職(五八)は「若い世代や新しい住民にはなじみが薄い」と寂しがり、「親と同居していないなど生活形態は変わったが、儀兵衛翁の心から学ぶことは多い」と話す。