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津崎村岡局の銅像

幕末の女性勤王家
凛とした表情でたたずむ津崎村岡局の銅像(京都市右京区・亀山公園)
 大堰川沿いの亀山公園にひっそりとたたずむ。背筋をぴんと伸ばして前方を見やり、凛(りん)とした表情で座る和装姿の老女。幕末の女性勤王家とされる津(つ)崎(ざき)村(むら)岡(おかの)局(つぼね)の銅像だ。
 津崎村岡局は一七八六年に大覚寺宮の家来の津崎左京の娘として生まれた。名前は矩(のり)子。九八年に左大臣の近衛忠煕に侍女として仕え、後に老女の地位に就き村岡局と名乗った。忠煕と尊王攘夷(じょうい)派の志士らの橋渡し役となった。西郷隆盛の相談を受けたこともあるという。
 しかし、安政の大獄(一八五八−五九年)によって江戸で投獄された。その後、北嵯峨にある直指庵に隠居して、地元住民の教育に尽力し、八十八歳で亡くなった。
 銅像は一九二八年に建てられた。付近を大勢の観光客が散策するが、銅像に気づく人は多くない。かつては津崎村岡局の映画や芝居もあり、地元の偉人として知られていたという。直指庵の小田芳隆住職(五九)は「幕末の歴史をつくった志士たちの陰の立役者。多くの人に知ってもらえれば」と話す。