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琵琶湖疏水煉瓦工場跡の石碑

名残の赤れんがも
琵琶湖疏水の建設を支えた工場跡を示す石碑(京都市山科区)
 京都市営地下鉄御陵駅の2番出入り口を地上に出てすぐ右手。京都の近代土木史に残る大事業、琵琶湖疏水の建設を支えた歴史を示す石碑がある。そばには、名残として工場で製造された古びた赤れんが七個が据えられている。
 説明板などによると、国内には明治時代の当時、疏水建設に必要な大量のれんがを製造する窯がなかったため、御陵原西町一帯の約四・四ヘクタールの敷地に十二カ所の登り窯が設置された。一帯で採取した土を使い、一八八六(明治十九)年の操業開始から閉鎖までの約三年間で約千三百七十万個を焼き、疏水のトンネルなどに使われた。
 当時の資料によると、工場の跡地は、陸軍が一時、火薬製造所の建設候補地に考えていたことがうかがわれるが、結局は宇治市五ケ庄に設置された。
 石碑と説明板は、京都洛東ライオンズクラブが一九八九年十一月に建てた。山科の歴史を知る会の山本正明会長(七一)は、「近代化遺産が注目されている。疏水は有名だが、その建設を支えた史跡も知ってほしい」と話す。