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朧の清水の石碑

嘆く佳人 歌枕に
建礼門院ゆかりの寂光院に続く道の脇に残る朧の清水の石碑(京都市左京区大原草生町)
 京都市左京区大原の寂光院につながる狭い道沿いに高さ八十センチほどの石碑が建つ。風化が進み、彫り込まれた字は見づらいが、古いひらがな交じりで「おぼろのしみず」とある。奥の岩にできた空洞には透明なわき水がたまっており、一部の住民が使っている。
 この朧(おぼろ)の清水には、平清盛の二女で、平家没落後、菩提(ぼだい)を弔うため、寂光院そばの庵に移り住んだ建礼門院の悲しいエピソードが残る。美しい容姿の持ち主だったが、おぼろ月夜の時、水面を通して映るやつれた姿を見て、身の上を嘆いたといわれる。
 そうしたことが詩情を誘うのか、朧の清水は古来、歌枕として親しまれている。
 吉田兼好「大原やいづれ朧の清水とも知られず秋はすめる月かな」
 与謝蕪村「春雨の中におぼろの清水かな」
 石碑の側面には、石碑の建立者とされる「円観宗清」の名が刻まれている。宗清は平家の残党で後に石屋となり、兵庫に移ったという説がある。だが、大原古文書研究会庶務の上田寿一さん(五九)は「人名事典などでいくら調べても分からない」と語り、謎のままだ。