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旧東海道線山科駅跡

現在のはるか南に
かつて山科駅があったことを示す石碑(京都市山科区)
 京都市山科区を南北に貫く外環状線と、北東方向に横切る名神高速道路の交差から西に数十メートル行った同区小野の住宅街。かつて、今の場所からはるか南に官設鉄道(現JR)の東海道線が通り、山科駅もあったことを示す石碑が立つ。
 一八八〇(明治十三)年に開通した旧東海道線の京都−大津間は、名神高速道路とほぼ同じコースだった。京都駅から南下して藤森付近で東に折れて、名神高速道路に沿って山科盆地を北上、旧逢坂山トンネルを抜けて大津市の旧大津駅までを結んでいた。
 一九二一(大正十)年に現在の経路に変更されるまで、山科駅は石碑がある付近に設置され、明治から昭和初期の小説家、徳冨蘆花の代表作「不如帰」の場面にも登場した。下京区の梅小路蒸気機関車館は、二〇〇三年に旧東海道線の展示会を開催。職員の西村忠章さんは「山科駅があった場所に驚く来館者も多かった」と振り返る。今は、京都洛東ライオンズクラブが一九八二年に建てた高さ約一メートル、幅と奥行き十八センチの石碑が、ひっそりと当時を伝えるのみだ。

【2007年3月27日掲載】