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「戦友」の歌碑

飛泉の教え子建立
真下飛泉をしのぶ「戦友」の歌碑(京都市東山区林下町)
 「こゝはお國を何百里」。戦前戦後に広く歌われた「戦友」の冒頭部分を石に刻む。作詞者の真下飛泉(一八七八−一九二六)をしのび、晩年暮らした場所に近い、京都市東山区林下町の知恩院塔頭の良正院の門前に建つ。
 真下飛泉は福知山市大江町出身の教育者で文学者。「戦友」は自身が創作した十二篇の叙事詩の第三篇にあたり、苦労をともにした戦友が戦死した悲しさをうたう。京都府師範学校付属小で教えていた一九〇五(明治三十八)年、校内の学芸会で児童たちが歌い、聴衆の感動を誘ったという。
 歌碑は高さ二・七メートル、幅〇・九メートル。真下飛泉が亡くなった翌一九二七(昭和二)年、教え子千八百二十四人が建てた。
 歌碑には危機があった。終戦後に進駐軍が「軍国調だ」として壊すように命じたが、良正院の当時の住職の故細井照道さんが「この歌の真意は戦争の悲しみを伝えるものだ」と弁護して免れたという。孫にあたる細井宏俊住職(五一)は「これからも大切に守っていき、多くの人に知ってもらいたい」と話している。

【2007年5月29日掲載】