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伏見奉行所跡

港町の発展支える
かつて伏見奉行所があったことを示す石碑(京都市伏見区西奉行町)
 酒蔵をイメージした建物が並ぶ、京都市伏見区の市営桃陵団地入り口に、高さ約一メートルの「伏見奉行所跡」と書かれた石碑が立っている。一九六八年、市によって建てられた。
 伏見奉行所は一六二五(寛永二)年、別の場所からこの地に移された。現在の桃陵団地や桃陵中の敷地に当たる。
 約二百六十年間、二十八人の幕府の奉行が、ここで伏見を治めた。近くの巨椋(おぐら)池の漁業権争いや、舟運を扱う商人間の争いなどが裁かれた。
 近くの郷土史家の藤林武さん(七一)は「奉行所は江戸時代、港町伏見の発展を支えた」と語る。
 一八六八(慶応四)年の鳥羽伏見の戦いでは、奉行所に新選組などの旧幕府軍が結集した。向かいの御香宮神社に陣取った新政府軍の砲火を浴び、奉行所は焼け落ちた。
 明治以降、跡地は、陸軍工兵隊の兵営となり、戦後は進駐軍が接収した。返還後、団地が造られた。今、奉行所の名残は石碑と一部の石垣だけだ。
 藤林さんは「伏見の歴史の中心だった奉行所をもっと知って欲しい」と話す。

【2007年6月12日掲載】