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月橋院の忠魂碑

撤去令に分割保存
向島小から月橋院門前に移された忠魂碑。斜めに切られ、下の部分が欠けている(京都市伏見区桃山町泰長老)
 京都市伏見区の観月橋北詰めから外環状線を東へ三百メートル。豊臣秀吉ゆかりの禅寺月橋院の門前に、真ん中あたりから下の部分が欠けた「忠魂碑」が建つ。忠魂碑全体の高さは推定三メートル以上で、鞍馬石でできているという。台座の礎石は伏見城の石垣とも伝わる。
 なぜ上の部分だけがあるのか。「伏見桃山の文化史」によると、忠魂碑は帝国在郷軍人会向島分会により一九三一年に向島小に建てられた。太平洋戦争後、GHQの指令で撤去する際、当時の保護者会長が三つに割って自宅へ運んだ。だがその後、会長の身に不幸が起き始め、月橋院で供養することになったという。
 この「たたり説」のくだりを保護者会長の長男望月敏男さん(七四)は否定する。「地元の人から忠魂碑を粗末にできないという意見が出たため、上だけ預かってもらったんです」。下の二つは望月さん方にあったが、しばらくして親族に譲った。
 月橋院の村田泰子さん(五九)の話では、向島の住民有志たちが二十五年ほど前まで碑の前で毎年法要を営んでいた。戦後の混乱もあってエピソードには事欠かないが、碑は平和な今の世の中で静かにたたずんでいる。

【2007年7月3日掲載】