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(12)鞍馬電気鉄道支線

鴨川大洪水で計画頓挫
1928年の「鞍馬電鉄沿線名所図絵」に赤の点線で描かれた二軒茶屋からの計画線(京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より転載)
1928年の「鞍馬電鉄沿線名所図絵」に赤の点線で描かれた二軒茶屋からの計画線(京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より転載)

 約1万2千人の学生が通う京都産業大(京都市北区)や京都市北部の人口増加地域を通る鉄道が、かつて計画された。京都を襲った未曽有の水害「鴨川大洪水」で頓挫して幻となった路線予定地は、今やバスがひっきりなしに行き交う街道となっている。

 鞍馬電気鉄道(現叡山電鉄鞍馬線)が1922(大正11)年に計画した、二軒茶屋駅(左京区)と京都市営地下鉄北大路駅(北区)付近を結ぶ5・8キロの路線で、開業されないまま、戦後、敷設の免許が失効した。

 北の始点、二軒茶屋駅に降り立った。駅前に学生向けマンションが点在し、小さなロータリーから、京都産業大行きのシャトルバスが出ている。京都府立京都学・歴彩館(旧府立総合資料館)所蔵の路線図によると、鉄道は、二軒茶屋駅から「鞍馬街道」と呼ばれる道に沿って南西に走る計画だった。

 鞍馬街道を歩き、岩倉に向かう道との分岐を過ぎると、青い看板に「追分寮」や「神山寮」と書かれた京都産業大の関連施設があった。さらに行くと、学生向けのリサイクル店や不動産店が軒を連ねる。大学町らしい雰囲気だ。

京都産業大前を通る鞍馬街道。ここに駅があれば学生も多く利用したかも知れない(京都市北区)
京都産業大前を通る鞍馬街道。ここに駅があれば学生も多く利用したかも知れない(京都市北区)

 視界が開けて京都産業大のキャンパスが見えた。街道の南側にバス停がいくつも並ぶ大きなロータリーがある。鞍馬電気鉄道がここに駅を置く予定はなかったが、駅前の風格は十分にある。北大路バスターミナルや京阪出町柳駅などから学生を乗せたバスが到着し、これだけの利用者がいれば採算は取れたと思われる。

 ところで京都産業大で、鉄道計画のことは知られているのだろうか。同大学広報部の棚原由香利課長(55)は「初めて聞いた」と驚いた様子。大学は、計画が立ち消えとなった後の65(昭和40)年に開校した。棚原課長は「都市郊外にある米国の大学をイメージし、静かな上賀茂神山が選ばれたので、昭和初期に鉄道が通って開発が進んでしまっていたら、大学ができなかったかもしれません」と話す。

 昭和初期、愛宕山など京都市郊外へアクセスする路線の敷設が進んだ。鞍馬寺参詣などの乗客を見込んで建設された鞍馬電気鉄道は、烏丸北大路や左京区山端で他路線に接続して、参詣客を運ぶつもりだったようだ。

 29(同4)年に京都電灯叡山線(現叡山電鉄本線)に乗り入れる、山端(現宝ケ池)-鞍馬間が全通した。当時は世界恐慌の時代で、経営状態は芳しくなかった。35(同10)年6月、京都に大きな爪痕を残した鴨川大洪水(京都大水害)が発生。特に鞍馬地区の被害は大きく、復旧に1カ月を要し、新線建設は後回しに。やがて時代は戦争一色になる。

 路線予定地をさらに進むと、人口増加地域の柊野学区や大宮学区に入った。宅地開発が進んだが、現在も鉄道がない地域だ。もしこの路線が開通していれば、と計画を流してしまった水害が残念でならない。

地下鉄北大路駅の出入り口。鞍馬行きの路線があればまた違った光景になっていただろう(北区)
地下鉄北大路駅の出入り口。鞍馬行きの路線があればまた違った光景になっていただろう(北区)

鞍馬電気鉄道支線

鞍馬電気鉄道支線

 叡山電鉄鞍馬線二軒茶屋駅と烏丸北大路を結ぶ約5.8キロの路線。大宮小(北区)付近に「西賀茂駅」、元町小(同)付近に「大宮駅」を置く予定だった。ほかに大宮駅から上賀茂神社前を通って左京区上高野へ至る路線の計画もあった。いずれも1954年に免許が失効した。計画線は、鳥瞰(ちょうかん)図の名手吉田初三郎の手による「鞍馬電鉄沿線名所図絵」にも点線で描かれている。

【2017年01月06日掲載】