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(1)新京極の蛸薬師(京都市中京区)

母思う優しさ今も
市民、観光客、修学旅行生と多くの人でにぎわう新京極通に建つ蛸薬師堂(京都市中京区新京極蛸薬師)
 買い物客や修学旅行生が行き交う京の繁華街、新京極通蛸薬師に、蛸薬師堂は建つ。若者向け洋品店やゲームセンター、土産物店にまぎれるように、ひっそりとたたずむ。「海がないのに、なぜタコですか?」。不思議に思って尋ねる参拝者も多い。
 蛸薬師堂はもともと、今の約一キロ北西の二条室町の辺りにあった。寺の名前は永福寺。後深草天皇の建長年間(一二四九−一二五六)の初め、善光という僧が住んでいた。寺で看病していた母親に、「子どものころから好きだったタコを食べると病気が治るかもしれない」と懇願された。
 善光は困り果てる。僧侶は生き物を殺したり、食べてはいけないからだ。だが善光はタコを買い、経本を入れる箱に隠した。僧侶が生魚を買ったことに不審を抱いた人々は、寺の門前で箱の中を見せるように迫る。
 「母の病気を治すためです。薬師如来様、どうかお助けください」。善光は一心に祈りながら、箱を開けた。するとタコは八軸の経巻になり、四方に光を放った。経巻は再びタコに姿を変えて池に飛び込むと、今度は薬師如来に変じて善光の母を照らし、病気を治した。それから、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになったという。
 「当時は、僧侶は生き物を食べないということが人々に浸透していた。だから魚屋の前にいた善光の姿が珍しかったのでしょう」と星川勝恵副住職は話す。現在のように、誰もが当たり前に魚介類を食べる世の中では、この逸話はなかったろう。
 蛸薬師堂は、豊臣秀吉の時代に現在の地へ移った。病気を治した蛸薬師様に病気平癒を祈る人々の参拝が絶えず、寺に通じる坊門通は、蛸薬師通と名を変えた。
 兵庫県姫路市から来た牧野好子さん(六八)、山中秀子さん(六三)の姉妹は、六十二歳の弟の病気回復を願っていた。「母が京都出身で、蛸薬師さんの話をよくしてくれましたから」
 新京極通から数歩入った境内は、驚くほどに静かだ。頭をさげ、じっと手を合わせる人たち。星川副住職は「母を思って買ってはならないタコを買い、一生懸命に祈った善光さんの気持ちと、今の人々が大切な人を思って手を合わせる気持ちは変わりません」。
【メモ】蛸薬師堂は京都市中京区新京極蛸薬師。TEL075(255)3305。阪急河原町駅から新京極通を北へ約300メートル。豊臣秀吉の時代に現在の地へ移される前は、中京区二条室町付近にあったとされ、今も蛸薬師町の町名が残っている。

【2006年11月1日掲載】

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