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(4)墨染桜(京都市伏見区)

歌に詠まれ地名に
墨染の地名の由来となった桜と伝わる寺宝の古木(京都市伏見区・墨染寺)
 深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け
 平安時代前期、初の関白となった藤原基経が亡くなったのを悼み、歌人上野岑雄(かむつけのみねお)が詠んだ和歌で、「桜の花に心があるのなら、せめて今年ばかりは墨染色に咲いてほしい」という気持ちが込められている。思いが通じたのか、桜が墨染色に咲いたため、一帯は「墨染」と呼ばれるようになった、と伝わる。
 「咲いた当初、花が白い色で、薄墨のように見える品種なんです」。歌に詠まれた桜から数えて三−四代目が境内にある墨染(ぼくせん)寺の田中宏明住職(七四)は説明する。ソメイヨシノより開花が一週間ほど遅く、時間と共にピンク色が増すという。
 同寺には、岑雄が詠んだ当時の墨染桜とされる寺宝の古木が伝わる。現存するのは根元付近だけだが、木肌はでこぼこしていて磨かれたようなつやがあり、年月がたっていることを感じさせる。言い伝えに関係する数少ない物証で、木の台座に載せ床の間に大切に飾ってある。
 もともと和歌が詠まれた付近には、九世紀に創建された貞観寺があった。同寺はその後荒廃したが、墨染桜の逸話を知った豊臣秀吉が、姉の瑞竜尼が帰依していた日秀上人に土地を寄進し、同上人が十六世紀末、再興させたのが現在の墨染寺だ。再興後、本堂に「桜寺」の額を掲げたことから、こちらの通称名の方が一般に知られるようになった。
 謡曲「墨染桜」で取り上げられるなど芸能関係者の間でも知られていたらしく、境内には江戸の歌舞伎役者・二代目中村歌右衛門が一七六八年に寄進した手洗い石が残る。「最近でも、南座の公演を控えた歌舞伎役者が桜を見に来られたことがあります」と田中住職。
 最盛期は境内が八町(約八百七十メートル)四方もあった墨染寺も、その後規模が縮小し、いまは商店街の一角に本堂や庫裏などがひっそりと建つ。逸話にひかれ、地元だけでなく、関東からも参拝客が訪れるという。哀悼の気持ちが乗り移ったかのような花の色は、時代を超えて人々の共感を呼んでいる。
【メモ】墨染寺は京都市伏見区墨染町。京阪墨染駅から西へ徒歩約3分。本堂前にある墨染桜の三代目は樹齢25年、四代目は同8年。同寺には安土桃山―江戸時代初期の画家長谷川等伯が描いた秀吉の画像や、秀吉自筆の短冊などが寺宝として伝わる。墨染桜は六歌仙の一人、僧正遍照の歌に由来する、との説もある。

【2006年11月7日掲載】

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