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(7)湯たく山 茶くれん寺(京都市上京区)

天下人に白湯出す
秀吉に献じた水をくんだとされる井戸跡がある浄土院の庭(京都市上京区今出川通千本西入ル)
 「湯たく山 茶くれん寺」。西陣のまちなか、千本通今出川の交差点から約五十メートル西にある小さな寺の門前の石碑には、「豊公遺跡」という言葉と「浄土院」の寺名の間に、そんな文字が彫られている。
 何げなく聞いただけでは普通の寺の名前と山号の組み合わせのように思えるが、「湯ばかりたくさん出して、お茶はくれない寺」ということと分かれば、何やら意味ありげに思えてくる。
 寺に伝わる話は、一五八七(天正十五)年の十月一日の出来事。天下統一を目前にした豊臣秀吉が、九州平定と邸宅の聚楽第(じゅらくだい)の完成を祝い、北野天満宮境内の松原で催した茶会「北野大茶湯」の折の伝説だ。
 道中に秀吉が浄土院に立ち寄り、茶を所望した。一杯目は茶を出した住職だが、お代わりを求める秀吉に、二杯目以降は白湯(さゆ)を出し続けた。住職は、高名な茶人でもある天下人の秀吉に未熟な茶を出し続けるのは失礼だと考え、寺にわき出る水をそのまま味わってもらおうと考えたのだった。
 最初は驚いた秀吉も、そのうちに住職の思いを悟り、笑いながら冒頭の「茶くれん」の話を言い出したのだという。一〇九五(嘉保二)年の建立以来、初代を除くと先代まで十七人の住職は女性と伝わる。秀吉と相対したのも、機転のきく尼僧だったのだろう。
 頓知話のようだが、大学職員の傍ら副住職を務める秦文彦さん(三四)は「未熟な腕を恥じて、我をひけらかしたり無理して茶をうまくたてようとしなかったのは、愚鈍の身である自分を根底に持つ浄土宗の精神でのもてなしだったと思います」。下手をすれば気分を害しかねない接待を笑いに変えた秀吉も「すごい大人物だった」と感心する。
 寺の庭には、秀吉に献じた水をくんだとされる井戸跡がある。同様の伝説は、秀吉が出向いた八幡市や兵庫県姫路市にも伝わる。
 秀吉が住んだ聚楽第跡を示す石碑は正親小(上京区)の北東角に立つ。北野天満宮まで一キロ余り。今では多くの車がせわしなく行き交う道中だが、天下人と尼僧が向き合い、しゃれっ気たっぷりに交わした茶席のやりとりを思うと心が和む。
【メモ】浄土院は京都市上京区今出川通千本西入ル南上善寺町。TEL075(461)0701。近くの般舟院の隠居所として創建された。本尊は重要文化財の阿弥陀(あみだ)如来座像。安土桃山時代の陶工・楽長次郎作とされる寒山、拾得像が本堂の屋根に置かれている。拝観は事前連絡が必要。

【2006年11月10日掲載】

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